レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2023/12/26
- 登録日時
- 2024/01/05 00:30
- 更新日時
- 2024/03/21 13:42
- 管理番号
- 16512275
- 質問
-
未解決
岡山県倉敷市中央1-1-20にある「新渓園」の庭園について質問します。
(「新渓園」は大原孫三郎の父である孝四郎が、自らの還暦記念に別邸として建築したもので、当時は向屋敷と呼ばれていました。大正10年に孫三郎が倉敷町に寄附した際、孝四郎の雅号「新渓」から「新渓園」となり、大正12年に公園として開園し現在に至っています。)
「新渓園の庭園は、近江八景を模して七代目小川治兵衛が作庭した」という話が伝わっているが、その根拠となる資料が不明のため、調べてほしいです。
・『庭師小川治兵衛とその時代』 鈴木博之/著 東京大学出版会 p.171
こちらの資料に「1916(大正5)年に倉敷の大原美術館裏に当たる新渓園の庭園をまかせ…」との記載があるのみで、庭園が近江八景を模したという記載はなく、はっきりした根拠になる資料が見つかりません。
また、他の七代目小川治兵衛に関する資料には新渓園の庭園を作庭したという記載そのものがありません。
「新渓園」もしくは七代目小川治兵衛に関する資料に上記記載がないかご確認いただけませんでしょうか?
- 回答
-
以下のとおり、新渓園に関する資料に加え、小川治兵衛、大原孝四郎及び大原孫三郎に関する資料を調査しましたが、小川治兵衛が近江八景を模して新渓園を作庭したという記述は見当たりませんでした。また、新渓園を小川治兵衛が造庭したという記述も見当たりませんでした。
参考までに調査に使用した主な資料をご紹介します。
【 】内は国立国会図書館請求記号です。書誌事項末尾に◎を付した資料は国立国会図書館デジタルコレクション(国立国会図書館内/図書館・個人送信対象)資料です。
資料1-2には、大原孝四郎が新溪園を設計したとの記述があります。
資料1
柴田一, 太田健一 著『岡山県の百年 (県民100年史 ; 33)』山川出版社, 1986.6【GC216-92】◎
https://dl.ndl.go.jp/pid/9575988/1/114
p.213(114コマ)「五 立ち上がる県民」>「3 社会主義の先駆者たち」>「大原社研・倉敷労研」>「大原家の社会事業」の中に「大原孝四郎は倉敷奨農会を設立して育英事業をおこなう一方、みずから設計して新渓園を造園した。」とあります。
資料2
『中国銀行五十年史』中国銀行, 1983.4【DF238-123】◎
https://dl.ndl.go.jp/pid/12002798/1/50
50コマ(p.62)「第1部 創立前史」>「第1章 銀行の誕生」>「第4節 倉敷銀行の設立と営業」の中に「大原孝四郎頭取」の項目があり、「自ら、設計した向邸(新渓園、大原美術館裏に所在)の建築造園は高く評価されている。」とあります。
資料3-4には、大原家と小川治兵衛の関係は書かれていますが、新渓園を造園した旨は書かれていません。
資料3
横山恵子、鈴木誠「有隣荘庭園の変容にみる現代庭園デザインの芽生え」(『ランドスケープ研究』67 (5) 日本造園学会, 2004 pp.393-396【Z11-315】)
pp.394-395「3 小川治兵衛と有隣荘庭園」によると、大原家と小川治兵衛の関わりについて「大原孫三郎邸庭園(大原家本邸)の改修に始まる。」とし、他にも1922〜1923年(大正11~12)の岡山天瀬別邸の作庭、1928〜1931年(昭和3〜昭和6)の有隣荘の作庭、1932年(昭和7)の神戸住吉大原別邸の作庭が上がっています。また「この内、現存しているのは改修した本邸を除き有隣荘庭園のみである。」とあります。
こちらの論文はインターネットからも閲覧することができます。
J-STAGE: https://doi.org/10.5632/jila.67.393
資料4
山根徳太郎 編『小川治兵衛』小川金三, 1965【289.1-O286Yo】◎
https://dl.ndl.go.jp/pid/2983893
pp.67-75(コマ56-60)に「小川治兵衛翁年譜」があります。
大正11年に「岡山県倉敷、大原孫三郎氏邸庭園築造、昭和二年竣工」「岡山市、大原氏別邸庭園築造、翌十二年竣工」(p.71)、昭和3年に「岡山県倉敷、大原氏邸庭園築造、昭和六年竣工」(p.73)、昭和7年に「兵庫県住吉、大原孫三郎氏別邸庭園築造」(p.74)とあります。
大正5年は記載がありません。
【調査に使用したそのほかの主な資料】
『近代日本の支配層が愛した小川治兵衛の庭 (武庫川女子大学東京センター主催講演会シリーズ. わが国の近代建築の保存と再生 ; 第9回)』武庫川女子大学出版部, 2014.11【KA434-L68】
大原美術館 編『大原孫三郎日本美術への眼差し : 大原孫三郎生誕一三〇年記念特別展』大原美術館, 2010.10【KC16-J1969】
小川治兵衛 [作], 田畑みなお 写真, 白幡洋三郎 監修『植治七代目小川治兵衞 : 手を加えた自然にこそ自然がある (シリーズ京の庭の巨匠たち = The great masters of gardens of Kyoto ; 2)』京都通信社, 2008.3【KA434-J60】
倉敷市史研究会 編『新修倉敷市史 第6巻 近代. 下』倉敷市, 2004.3【GC218-H51】
小川治兵衞 監修『「植治の庭」を歩いてみませんか : 洛翠庭園・無鄰菴庭園』洛翠「植治の庭」を歩いてみませんか刊行委員会, 2004.1【KA434-H17】
尼崎博正 著『庭石と水の由来 : 日本庭園の石質と水系』昭和堂, 2002.2【KA434-G65】
山本利幸 著 [他]『岡山の庭 (岡山文庫 ; 95)』日本文教出版, 1981.5【KA434-76】
『目でみる岡山の明治 (岡山文庫 ; 122)』日本文教出版, 1986.6【GC216-97】
青地晨「倉敷王国大原三代」(『中央公論』76(4)(881);四月号 中央公論新社, [1961.4] pp.262-271【Z23-9】)
『毎日新聞 [東京] 縮刷版』毎日新聞社【Z99-6】
1963年10月10日〜13日、15日〜19日、22日の朝刊5面に「大原敬堂十話」(大原総一郎)が掲載されています。
【調査に使用した主なデータベース、インターネット情報等】
・皓星社 雑誌記事索引集成データベース(ざっさくプラス)(当館契約データベース)
・朝日新聞クロスサーチ(当館契約データベース)
・毎索(毎日新聞)(当館契約データベース)
・ヨミダス歴史館(読売新聞)(当館契約データベース)
・国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/ja/
・国立国会図書館オンライン https://ndlonline.ndl.go.jp/
・CiNii Research https://cir.nii.ac.jp/
・Googleブックス https://books.google.co.jp/
・Google Scholar https://scholar.google.co.jp/schhp?hl=ja
インターネット情報等の最終確認日:2023年12月21日
- 回答プロセス
- 事前調査事項
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下記資料にお尋ねの内容の記載があるが、所以については記載なし。
・『庭師小川治兵衛とその時代』 鈴木博之/著 東京大学出版会 p.171
「1916(大正5)年に倉敷の大原美術館裏に当たる新渓園の庭園をまかせ…」との記載あり。庭園が近江八景を模したという記載はなし。
●下記資料を確認したが、新渓園について記載はあるが、7代目小川治兵衛作庭や近江八景を模したという記載はなし
・『大原孫三郎と原澄治』 犬飼 亀三郎/著 倉敷市文化連盟 pp.111-112
・『大原孫三郎伝』 大原 孫三郎伝刊行会/編 中央公論事業出版 pp.360-362
「(ロ)建築・造園」の項目には新渓園について記載なし。7代目小川治兵衛について記載あり。
・『大原孫三郎父子と原澄治』 犬飼 亀三郎/著 倉敷新聞社 pp.102-103 新渓園の項目あり。
・『倉敷市史 5』 永山 卯三郎/著 名著出版 pp.805-810 新渓園の寄附について 園内配置図あり
・『倉敷市史 11』 永山 卯三郎/編 名著出版 pp.850-853 新渓園の寄附、協議委員会、碑文あり
●七代目小川治兵衛と大原孫三郎の関わりについて記載はあるが、新渓園については記載なし
・『七代目小川治兵衛』 尼崎博正/著 ミネルヴァ書房
p.115、p.195 「大原孫三郎倉敷本邸、同氏岡山別邸、同氏倉敷別邸(有隣荘)」を手掛けた記載あり
pp.263-264 年表にも同上の記載のみ
・『植治次期十二代小川勝章と巡る技と美の庭』 小川 勝章/[著] 京都新聞出版センター p.150
「大原孫三郎氏の本邸改修から大原家とご縁があり、旧別邸・有隣荘の作庭もさせていただいた…」との記載あり
・『植治』 小川 治兵衛/〔作〕 京都通信社 pp.112-113
年表に大原孫三郎倉敷本邸、同氏岡山別邸、同氏倉敷別邸(有隣荘)の記載あり。
・『大原孫三郎總一郎研究会報告書 第2回』 有隣会 p.15
「有隣荘大原孫三郎邸における茶室建築について」上田恭嗣/著 七代目小川治兵衛が有隣荘・住吉別邸の造園を手掛けたとの記載のみ
・『植治の庭 : 小川治兵衛の世界』尼崎博正、田畑みなお/著 淡交社
・雑誌『庭 第193・194号 特集小川治兵衛の世界』 建築資料研究社 2010.5/7
●以下の資料は庭園について記載なし
・『高梁川 45号』 高梁川流域連盟/編 高梁川流域連盟 pp.294-295
「新渓園が寄附されたころー倉敷町の記録からー」芳本重次郎/著
・『倉敷の歴史 第21号』 倉敷市文書館(アーカイブス)研究会/編 倉敷市 pp.99-101
「新渓園の狛犬」 藤原好二/著
・『高梁川 22号-30号』 高梁川流域連盟/編 高梁川流域連盟 24号 pp.74-82
「新渓園の書と絵とその作家」雄風 井上三男/著
・新渓園に電話で尋ねたところ、「池が琵琶湖を模していると聞いたことはあるが、近江八景のことはあまりよくわからない」とのこと。
・有隣会では、「新渓園は孫三郎の代の建物ではなく、7代目小川治兵衛作庭及び近江八景を模したについても把握していない」とのこと。
・インターネットサイト「倉敷とことこ」掲載の「新渓園~眺めて歩ける日本庭園と、56畳の和室を持つ建物でのんびり」記事に「7代目小川治兵衛が作庭。近江八景を模した」と記載あり。
- NDC
-
- 造園 (629)
- 参考資料
- キーワード
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 人文(レファレンス)
- 調査種別
- 文献紹介 事実調査
- 内容種別
- 質問者区分
- 登録番号
- 1000344332