レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2009/3/18
- 登録日時
- 2011/07/11 02:02
- 更新日時
- 2011/07/24 12:56
- 管理番号
- 20090318
- 質問
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未解決
年譜には出ていないが、横山大観と菱田春草が、明治34年8月~9月に北陸へ行った。石川県へ来たか。
- 回答
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不明。
「石川県立美術館紀要」1号(昭和59年度)掲載「石川県近現代美術年譜」p89に、「明治35年9月6日 来沢中の横山大観と写生画家アーサーを同好者の横山男爵などが殿待楼に招き、席上揮毫も行われる。」とあったが、明治34年8月~9月にそのような記事はなかった。
- 回答プロセス
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まず当館ホームページの「石川県内新聞記事共同データベース」「石川県関係人物文献検索」を検索したが、横山大観や菱田春草に関する記事は見つからなかった。
当館所蔵の横山大観や菱田春草に関する図書を手当たりしだい見たが、確かに明治34年8月~9月の北陸行の記事はなかった。
近いものとして、「石川県立美術館紀要」1号の記事、『日本美術院百年史 2巻 上』(日本美術院 1990 請求記号706/13/2-1)p847上「三五年になると大観は東京を離れ越中、北陸方面へ旅に出ることが多かった。」という記事などを見つけた。
隣県を訪れていないかと考えて、富山県立図書館の「県内記事情報検索」を検索。「富山新聞」2007年5月21日付朝刊7面「富山おもしろ美術散歩(17)横山大観と富山(1)氷見の支援者と立山登山の写真」という記事があった。
「北國新聞データベース」(富山新聞の記事も検索できる)で記事本文を見ると、「大観が氷見を訪ねたのは、この明治三十五年と翌三十六年の間で、インド旅行をはさみ二、三度訪れている。友人の菱田春草とともに、作品頒布会の「真意会」を作り、金沢、富山、長野、新潟を歴訪した。」とあった。
斉藤隆三著『横山大観』(中央公論美術出版 1982 請求記号721.9/53)p55に、「[明治35年]「大観、春草相携えて新潟方面にまで赴いては相当期間滞在して制作に当り」とあったことから、新潟県立図書館ホームページ「新潟県関係雑誌記事索引データベース」を検索。「新発田郷土誌」31号(2003.3)p52~57「横山大観並びに拾円紙幣印刷について―新発田城特集」がヒットした。
当館に所蔵がないので新潟県立図書館に照会したところ、「石川県を訪れたという記述はない」とのことだった。
横山大観記念館に問い合わせたところ、「明治34年8月~9月に大観と春草が石川県を訪れたという情報は現在確認できない。その頃二人が新潟に滞在していることは当時の新聞などから確認できる」とのことだった。
同館より、『横山大観:没後50年 新たなる伝説へ』(朝日新聞社 2008 請求記号721.9/10207)の年譜p193~194、橋本芳雄著「大観の氷見滞在」(「横山大観記念館館報」No.6(昭和63年)p7~11)、野本淳著「新潟と大観―明治三十三・三十四年―」(同No.13(平成7年)p6~7)のコピーをいただいた。
「新潟と大観」p7に、「明治三十四年九月二十五日付の竹尾寅吉(楓樵)宛」の大観の書簡が引用されている。
「…小生七月中旬より四国九州より北越信州地方地方之風光ニ接し度 其山川等跋渉仕候て去る十七日無事帰京仕候」
- 事前調査事項
- NDC
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- 日本画 (721 9版)
- 参考資料
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- 「石川県立美術館紀要」1号(昭和59年度)
- 『日本美術院百年史 2巻 上』(日本美術院 1990 請求記号706/13/2-1)
- 斉藤隆三著『横山大観』(中央公論美術出版 1982 請求記号721.9/53)
- 「新発田郷土誌」31号(2003.3)
- 『横山大観:没後50年 新たなる伝説へ』(朝日新聞社 2008 請求記号721.9/10207)
- 「横山大観記念館館報」No.6(昭和63年)
- 「横山大観記念館館報」No.13(平成7年)
- 「富山県立図書館県内記事情報検索」 (http://lib2.lib.pref.toyama.jp/search/search_input.aspx(2011/7/11確認))
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「横山大観記念館」HP
(http://www.tctv.ne.jp/taikan/(2011/7/11確認))
- キーワード
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- 横山大観
- 菱田春草
- 石川県
- 照会先
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- 新潟県立図書館
- 横山大観記念館
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 人物
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000088311