レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2016/07/08
- 登録日時
- 2016/10/02 00:30
- 更新日時
- 2016/10/02 00:30
- 管理番号
- 6001017477
- 質問
-
未解決
ハリウッドの赤狩りについて書かれた資料はありますか。
- 回答
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次の資料に詳しい記述があります。
・『レッドパージ・ハリウッド:赤狩り体制に挑んだブラックリスト映画人列伝』(上島春彦/著 作品社 2006.7)
ハリウッドの赤狩りの時代を様々なやり方でくぐりぬけた脚本家、監督、俳優たちの記録が記されています。
・『トランボ:ハリウッドに最も嫌われた男』(ブルース・クック/著 世界文化社 2016.7)
・『「ローマの休日」を仕掛けた男:不屈の映画人ダルトン・トランボ』(ピーター・ハンソン/著 中央公論新社 2013.5)
ダルトン・トランボの波乱の生涯と作品誕生秘話を紹介しています。
以下の資料にも「赤狩り」に関係する記述があります。
・『映画の戦後』(川本三郎/著 七つ森書館 2015.5)
p175~193「大衆の反乱、知識人の戦慄―ハリウッド赤狩り論」
・『アカデミー賞オスカーをめぐる26のエピソード』(川本三郎/著 中央公論社 1990.3)
p200~210「赤狩り時代のオスカー」
・『ハリウッドの神話学』(川本三郎/著 潮出版社 1983.4)
p169~184「赤狩りの弾圧を乗り切った偉大なる職人 ドルトン・トランボ」
・『B級ノワール論 ハリウッド転換期の巨匠たち』(吉田広明/著 作品社 2008.10)
p73~74、p85~86
映画本のあとがきにも簡単な説明が載っています。
・『ローマの休日』(イアン・マクレラン・ハンター/著 ソニー・マガジンズ 1998.7)
p293~294
受賞当時はイアン・マクレラン・ハンターが原案を手掛けたとされていたが、後に『ジョニーは戦場へ行った』(七一年)で原作・脚本・監督の三役を務めたハリウッド・テンの一人、ダルトン・トランボだと判明した。三〇年代の大恐慌時代を通じて、多くのハリウッドの監督、脚本家、俳優は共産党に入党したり、党員ならずとも活動を支援したりしていたが、戦後に発足した非米活動委員会は影響力の大きいハリウッドを恰好の標的にして赤狩りをしたのである」
・『ジョニーは銃をとった (ハヤカワ・ノヴェルズ)』(ドルトン・トランボ/著 早川書房 1971)
p271
「彼の左派活動は国会調査委員会の追及を受け、映画製作諸会社の提出したブラックリストにその名を連ねる言を拒否したため、議会屈辱罪に問われ、一千ドルの罰金並びに一年間の懲役刑に処された。その後二年間にわたり激しい闘争を展開した揚句、一九五〇年に一年の刑に服した。そのとき一緒に入所した作家に、全く同じ罪に問われたジョン・ハウァード・ローソンがいる」
[事例作成日:2016年7月8日]
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 映画 (778 8版)
- 参考資料
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- レッドパージ・ハリウッド 上島/春彦∥著 作品社 2006.7
- トランボ ブルース・クック‖著 世界文化社 2016.7
- 「ローマの休日」を仕掛けた男 ピーター・ハンソン∥著 中央公論新社 2013.5
- 映画の戦後 川本/三郎‖著 七つ森書館 2015.5 (175-193)
- アカデミー賞 川本/三郎∥著 中央公論社 1990.3 (200-210)
- ハリウッドの神話学 川本/三郎∥著 潮出版社 1983.4 (169-184)
- B級ノワール論 吉田/広明∥著 作品社 2008.10 (73-74,85-86)
- ローマの休日 イアン・マクレラン・ハンター∥著 ソニー・マガジンズ 1998.7 (293-294)
- ジョニーは銃をとった ドルトン・トランボ∥著 早川書房 1971 (271)
- キーワード
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 書誌事項調査
- 内容種別
- 人物・団体
- 質問者区分
- 個人
- 登録番号
- 1000197654