レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2023/12/14
- 登録日時
- 2024/02/07 00:30
- 更新日時
- 2024/02/07 00:30
- 管理番号
- 0000002785
- 質問
-
未解決
明治40年(1907)頃、日本の皇族がアメリカを訪れた際に、かぶっていた帽子をわざと落とされるなどしたらしい。知り合いがその話を聞いて日本ならありえないと驚いていた。詳しく分かる資料を見たい。皇族の人名や性別、訪問先などは分からない。
- 回答
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不明です。
- 回答プロセス
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インターネット情報を中心に調べたが、該当事項に辿り着けず。
・宮内庁HPには、皇族の戦後外国訪問のみ記載あるが、戦前はなし。
https://www.kunaicho.go.jp/about/gokomu/shinzen/gaikoku/gaikoku.html (最終確認日:20230906)
・外交史料館HP「日本外交文書デジタルコレクション」で明治40-42年の目次を見るが、該当しそうなものはなし。
https://www.mofa.go.jp/mofaj/annai/honsho/shiryo/archives/mokuji.html (最終確認日:20230906)
・NDLデジタルコレクションの戦前官報を探すが、全文検索では関連事項見つけられず。
・ウィキペディア「天皇・皇族の外遊」項中に「近代日本の天皇・皇族において、明治期には皇族軍人が欧米への軍事留学を行ったほか、天皇名代としての表敬や視察が行われた。」とあり。
・「皇族軍人伝記集成」全16巻(当館未所蔵)の収録人名の略歴をネットで調べていく。
・ウィキペディア「久邇宮邦彦王」の略歴文中に、「1907年(明治40年)2月 - ヨーロッパ差遣 4月 - 出発 1908年(明治41年)4月 - 陸軍歩兵中佐1909年(明治42年)10月 - 帰朝」とあるが、アメリカとは記載なし。
『皇室皇族聖鑑 明治篇』174コマ に伏見宮が明治37年米国に差遣
https://dl.ndl.go.jp/pid/1209683/1/174 (最終確認日:20230906)
Google検索「差遣 米国 皇族 明治」より 論文
「万国博覧会と皇室外交 一伏見宮貞愛親王と1904年セントルイス万博」(PDF)
がヒット。この中で米国での様子が詳細に書かれているが。帽子のエピソードはない。
参考文献の『貞愛親王事蹟』にもそれらしいエピソード見当たらず
https://dl.ndl.go.jp/pid/1259715/1/270 (最終確認日:20230906)
- 事前調査事項
- NDC
-
- 日本史 (210 9版)
- 参考資料
- キーワード
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- その他
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000346067