レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2021/09/13
- 登録日時
- 2022/03/02 00:30
- 更新日時
- 2022/03/02 00:30
- 管理番号
- 6000025124
- 質問
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未解決
現在の月形町にあった樺戸監獄について。
1.看守の辞令・給与(明治39~40年)を具体的に知りたい。
2.樺戸監獄署に在籍した人物について調査している。明治39~40年の北海道庁職員名簿(北海道庁看守の名簿)資料を見たい。
- 回答
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1.看守の辞令・給与(明治39~40年)について
下記資料①~③を紹介。
①『樺戸監獄』 (熊谷 正吉/著 北海道新聞社 1992.9)
→p88-89 「監獄戯れ歌」という節に、明治30年代の看守の勤務状態についての記述があり、当時の平看守の初任給は8円が普通であったと記載。
また、次のような戯れ歌が流行していたとして「樺戸の看守に金(かね)あるならば 円山(やま)の枯れ木に花が咲く 月給八円めし食えん(九円) それでも出勤しりや旦那さん」との歌詞が紹介されている。看守の生活の足しに、木炭、薪、豚肉を格安で払い下げていたなどの記載もあり。
②『改訂樺戸監獄 「行刑のまち」月形の歴史』 (熊谷 正吉/著 月形ライオンズクラブ 2014.5)
→「監獄戯れ歌」の部分に関しては①と相違なし。
③『北海道集治監勤務日記』 ([白石 林武/著] 北海道新聞社 2012.11)
→樺戸監獄(のち北海道集治監)看守の白石林武氏が明治19年9月から34年11月までに記した日記をまとめたもの。毎月の月俸や生活費、出張旅費等が記載されており、明治19年の押丁(看守の補助)採用時は月俸6円、日記の最後である明治34年11月には月俸12円80銭と記されている。
p244には明治22年9月5日に押丁から看守に任ぜられた際の辞令書の文面の記載あり。
※①~③いずれも明治39年、40年を特定した記載はない。
2.北海道庁職員名簿(北海道庁看守の名簿)について
当館に該当年代の北海道庁職員名簿がないので北海道立図書館の蔵書を検索。
『北海道庁職員録 明治40年10月1日現在』を発見。内容の確認を依頼したが、監獄職員の記載はなかった。
下記資料④~⑤を紹介。
④『北海道行刑史』 (重松 一義/編著 図譜出版 1970.8)
→北海道の監獄は明治29年に北海道庁から拓殖務省の所轄となり、明治30年には内務省、明治33年以降は司法省の所轄になっていることから、樺戸監獄についても、明治33年から大正8年に廃監されるまでの間、司法省の所轄であったと判断。
⑤『職員録 明治40年版』 (印刷局 1907)
→p505 「司法省 樺戸監獄」の項があり、当時の典獄ほか幹部職員14名の名前あり。(『職員録』には明治39年版もあるが、北海道庁や各府県の主要職員のみ掲載されており、司法省など国の官庁の職員名は掲載されていない。)
犯罪と非行・刑事政策の専門図書館である「矯正図書館」を紹介。
●矯正図書館 (https://www.jca-library.jp/)
→関係文献の探索など各種の相談にも対応し、メールのほか電話、郵便、Faxでも受け付けている。
HPから明治以降に発行された『監獄協会雑誌』をデジタルで閲覧することが可能。
- 回答プロセス
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1.看守の辞令・給与(明治39~40年)について
①利用者から提示された『樺戸監獄』を調査。
②その他「樺戸監獄」に関する資料を調査。
2.北海道庁職員名簿(北海道庁看守の名簿)について
①当館に該当年代の北海道庁職員名簿がないので北海道立図書館の蔵書を検索。
②『北海道行刑史』・『職員録 明治40年版』を通読。
③犯罪と非行・刑事政策の専門図書館である矯正図書館で、関係文献の探索など各種のレファレンスにも対応していることを発見。
④矯正図書館のHPより、明治以降に発行された『監獄協会雑誌』をデジタルで閲覧可能なことを確認。(付録として職員名簿の記載あり)
- 事前調査事項
- NDC
- 参考資料
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- 樺戸監獄熊谷 正吉/著北海道新聞社 (p88-89)
- 樺戸監獄熊谷 正吉/著月形ライオンズクラブ
- 北海道集治監勤務日記[白石 林武/著]北海道新聞社 (p244)
- 北海道行刑史重松 一義/編著図譜出版
- 職員録 明治40年版印刷局 (p505)
- キーワード
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- 樺戸監獄(カバト カンゴク)
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 札幌市中央図書館
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000312902