レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2010年12月3日
- 登録日時
- 2011/08/05 11:15
- 更新日時
- 2012/01/06 15:41
- 管理番号
- 中央-1-00214
- 質問
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未解決
長谷川かな女は、私立小松原小学校を出たのち、小松原塾に入学しているのだが、これらの学校は今でいえばどのあたりにあったのか。
- 回答
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・まず【資料1】で長谷川かな女について見てみる。それによると、
日本橋木石町生まれ 1887(明20)-1969(昭44)
明27年 私立小松原小学校入学
33年 同校高等科卒業、引き続き小松原塾において家事を修業
35年 小石川の安藤坂上の三井家に行儀見習に入った。
昭9年 浦和に移住
となっている。
・【資料2】に、昭和27年(1894)、日本橋大工町の私立小松原小学校に入学、との記述がある。
・【資料3】 p22,24,26 明治40年1月調査東京市日本橋区全図
p22に区内町名、河岸名一覧表がある。しかし、「大工町」はなし。「元大工町」ならあった。
・【資料4】の索引を引くと、「大工町(中央区)252上」とあり、問題の大工町はここのことだと考えられる。しかし、見出しは「元大工町」となっている。文中に「大工町」は出てくる。これを読むと、元々は大工町だったようだが、紆余曲折を経て1690年に大工町となった模様である。現在は中央区八重洲一丁目・日本橋二丁目であるとのこと。
・その後私学の歴史に関する本や、日本橋区史などを探すが、どれも所蔵していなかった。ここまで調べたところで質問者に経緯を報告すると、とりあえずここで終了でよいとのことになった。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 詩歌 (911)
- 地理.地誌.紀行 (290)
- 参考資料
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- 【資料1】『埼玉現代文学事典』 埼玉県高等学校国語科教育研究会埼玉現代文学事典編集委員会編 埼玉県高等学校国語科教育研究会 1990 (p240~242)
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【資料2】『長谷川かな女 鑑賞秀句100句選』 星野紗一著 牧羊社 1993.3
(p106~ 長谷川かな女小伝) - 【資料3】『古地図・現代図で歩く明治大正東京散歩』 人文社 2003.10 (p22,24,26)
- 【資料4】『日本歴史地名大系 13 東京都の地名』 平凡社 2002.7
- キーワード
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- 長谷川かな女
- 小松原
- 大工町
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土、人物
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000089658