レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2022年5月7日
- 登録日時
- 2023/08/30 13:54
- 更新日時
- 2024/03/21 17:03
- 管理番号
- 吹-20-2023-002
- 質問
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解決
保良(ほら)せきが関わっていた雑誌『看護婦』について知りたい。
- 回答
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『看護婦』は1931(昭和6)年に保良せきが編集兼発行者として発行した看護雑誌。
『看護婦』の発行所の一つ「大阪看護婦協会」でCiNii(NII学術情報ナビゲータ)で検索する(最終確認2023.9.18)と、大阪公立大学羽曳野図書センター、金沢大学附属図書館医学図書館、京都府立医科大学附属図書館、日本赤十字看護大学図書館、法政大学大原社会問題研究所が所蔵していることがわかった。
書誌事項は、「看護婦 = The nursing 大阪看護婦協會、日本公衆衛生看護婦協會 大阪看護婦協会, 1931.8-1943 Vol. 1, no. 1 (昭6.8)-13 (昭18)」。
以下の資料にも記述があった。
(1)『生(あ)れしながらの』(べっしょちえこ/著 日本看護協会出版会 1980.5)
p111~p113に、『看護婦』昭和十五年版、Vol.10 No.104「保健婦大会に出席して」の引用あり。
p121~p122に、同誌昭和十五年版、Vol.10 No.103「保健婦の職能について」の引用あり。
p126~p130、p134~p136に、『看護婦』について詳しい記述あり。
p126「ICN(国際看護婦協会)加盟条件のもうひとつに、看護の職業専門誌をもつことというのがあった。」
「保良さんが、雑誌『看護婦』の個人発行を思い立ったのはこのときである。」
「昭和六年に、A5判、タテ組み、ページ数一二~一六というささやかな体裁の月刊雑誌として『看護婦』はスタートした。」
p127「編集兼発行者はもちろん保良せき。発行所は北区万才町の日本公衆衛生看護婦協会及び大阪看護婦協会となっている。二協会ともこの年に発足したばかりのホヤホヤで、まだろくな活動もしていない。」
「保良さんは名目上、この二つの協会の機関誌という形をとって雑誌をスタートさせた。」
「金繰り、紙繰りから、編集・執筆にいたるまで、すべて保良さん個人に負わせての機関誌であった。あえて個人雑誌と呼ぶゆえんである。」
「購読者はまことに少なく、ほとんど無料で全国各地の看護婦に配っている。また、ICN本部のあるジュネーブにも毎月送って、それが雑誌発行の大きな目的でもあった日本の看護婦の職業雑誌の存在を誇示することも忘れなかった。」
p128「昭和十五年に、近畿保健婦聯盟という団体ができ、『看護婦』は一時同聯盟の機関誌として移籍することになった」
p129「個人雑誌の継続はむずかしいとされているのに、この雑誌は昭和十六年、戦争激化のため紙の配給が得られなくなり、ついに廃刊となったその年まで、えんえん十年も続いたのである。」
「戦後間もなく、米占領軍総司令部看護課のオルト課長の好意で、廃刊になっていた『看護婦』の復活ばなしが起ったが、日本看護協会の再建のさい、協会に発行権が譲渡され、ここに正式に協会機関誌『看護』として装いもあらたに出発することになる。」
p130に、『看護婦』6冊の見開き頁の写真と、1冊の表紙の写真があるが、小さいので内容の判読は困難。
p134~p136には『看護婦』のスタイル・結構などが紹介されている。
p139~p150には、「言論人としての保良さんを語るには、(中略)雑誌『看護婦』がいちばんまとまった材料だろう。」として、文章と言論の特徴について記述がある。
p143~p144には、同誌昭和十五年六月号「東京保健婦協会の誕生を祝して」からの一部引用あり。
p147~p148には、同誌昭和十三年十一月号「私のページ」からの引用あり。
(2)『看護のアジェンダ』(井部俊子/著 医学書院 2016.9)
p163看護系雑誌の変遷についての記載に、『看護婦』についても挙がっている。
(3)『日本の看護120年 歴史をつくるあなたへ』(日本看護歴史学会/編集 日本看護協会出版会 2008.11)
p143に「医学系の代表的な索引誌『医学中央雑誌』には収録されなかった。」とあり、創刊号の表紙の写真を掲載。
(4)『保良せき シリーズ福祉に生きる41』(相澤譲治/著 大空社 2001.11)
p64「保良せきの保健、看護界に対しての功績は二つあげられよう。」
p67「もうひとつは、看護に関する雑誌の発行である。」
(5)『看護史の人びと 第1集』(雪永政枝/著 メヂカルフレンド社 1970.4)
p44に「雑誌『看護婦』の発行」の項あり。
「第六回国際看護婦会総会がカナダのモントリオールで開催されたとき、オブザーバーとして出席した保良さんは、日本の看護協会が国際看護協会に加入の許されない一つの理由として、看護婦の手によって編集される職業雑誌のないことを知り、昭和六年、雑誌『看護婦』を発行した。」
- 回答プロセス
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当館の検索機で「保良せき」というキーワードで検索した結果、回答欄(1)と回答プロセス欄(7)がヒットした。
(1)の内容を確認したところ、雑誌『看護婦』の発行所がわかり、そこからCiNiiで検索をし、雑誌所蔵館がわかった。
同時に、自館のNDC492の看護の書架を探したところ、回答欄(2)の記載を見つけた。
また、(2)の本文中に(3)についての記載があったので取り寄せて確認した。
大阪府立図書館の横断検索で、「保良せき」をキーワード検索をした結果、(4)がヒットした。
保良せきは吹田市千里山(すいたしせんりやま)地域にある千里山グレース幼稚園の園長だったとのことで、千里山地域のことを詳しく書いた以下資料を取り寄せて内容を確認した。
(6)『千里山 千里山会会誌9号』(千里山会 2006.7)
p97~p126に、保良せきが園長だった千里山グレース幼稚園についての特集「千里山幼稚園物語(その二)」が掲載されている。『看護婦』についての記述は、p105 保良せき年譜で「昭和六年 個人雑誌『看護婦』創刊(~昭16)」とあるのみ。
以下の資料には、保良せきについての記述はあったが、『看護婦』についてはp122注5にのみ記載があった。
(7)『社会事業に生きた女性たち その生涯としごと 続々』(五味百合子/編著 ドメス出版 1985.6)
また、(7)p122の参考文献に挙がっていた回答欄(5)を取り寄せて確認したところ、回答欄の記載を見つけた。
- 事前調査事項
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質問者によれば、保良せきは、吹田市(すいたし)にある千里山(せんりやま)グレース幼稚園の園長だった人物。
- NDC
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- 日本語 (051)
- 臨床医学.診断.治療 (492)
- 参考資料
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べっしょちえこ 著 , 別所, 智枝子, 1929-. 生れしながらの : わが国保健事業の母保良せき伝. 日本看護協会出版会, 1980.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000001459043-00 -
雪永 政枝/著 , 雪永 政枝 , 雪永 政枝. 看護史の人びと 第1集. メヂカルフレンド社, 1970-04.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I062622020-00 -
相澤譲治著 , 相澤, 譲治. 保良せき. 大空社, 2001. (シリーズ福祉に生きる / 一番ヶ瀬康子, 津曲裕次編, 41)
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000096-I001450308-00 , ISBN 428300071X -
日本看護歴史学会 編 , 川島みどり, 草刈淳子, 氏家幸子, 高橋みや子 監修 , 川島, みどり, 1931- , 草刈, 淳子, 1937- , 氏家, 幸子, 1933- , 日本看護歴史学会. 日本の看護120年 : 歴史をつくるあなたへ. 日本看護協会出版会, 2008.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000010015396-00 , ISBN 9784818013711 -
井部俊子 著 , 井部, 俊子, 1947-. 看護のアジェンダ. 医学書院, 2016.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I027607956-00 , ISBN 9784260028165 - 千里山 9号. 千里山会, 2006.7. (千里山会会誌) (当館請求記号 ス376.2, 当館書誌番号 1102375935)
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五味百合子 編著 , 五味, 百合子, 1913-2009. 社会事業に生きた女性たち : その生涯としごと 続々. ドメス出版, 1985.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000001746790-00
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べっしょちえこ 著 , 別所, 智枝子, 1929-. 生れしながらの : わが国保健事業の母保良せき伝. 日本看護協会出版会, 1980.
- キーワード
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- 看護婦
- 雑誌
- 保良せき(ほら せき)
- 千里山グレース幼稚園
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000337731