レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2023年9月27日
- 登録日時
- 2023/09/27 12:56
- 更新日時
- 2023/11/28 13:44
- 管理番号
- 4022
- 質問
-
解決
ベトナム戦争時に伊丹空港は軍事使用されたか。
- 回答
-
以下資料より軍事使用されていたと思われる。
『伊丹市史 第3巻』伊丹市史編纂専門委員会/編集 伊丹市 1972年
P.735
「伊丹基地の返還後も、日米行政協定にもとづいてアメリカ軍用機は伊丹空港に自由に離着陸していた(中略)三十六年十二月、大統領ケネディは軍事顧問団の増派を決め(中略)三十七年末には一万一〇〇〇人にものぼった。ベトナム内戦への本格的介入がはじまったのである。伊丹空港へのアメリカ軍用機の離着陸もひんぱんになった。」
P.736
「三七年一月(中略)安保反対兵庫県民会議は(中略)伊丹空港の実態調査を行って、空港におけるアメリカ軍用機・自衛隊機の発着が月に数百機にも及ぶことを確認した。」
「空港に隣接する新明和工業航空機製作所伊丹工場は、滑走路に面する入口にFLEET AIR WESTERN PACIFIC REPAIR ACTIVITY(西太平洋艦隊航空修理廠)と書いた英語の看板をかかげ、アメリカ陸海空軍の将校ならびに自衛隊駐在官が常駐していることも明らかになった。」
P.740
「ベトナム戦争の激化にともなって、アメリカ軍用機の発着も増大した。」
『広報いたみ 昭和47年~昭和50年』伊丹市 1972-1975年
昭和47年3月1日号 4面 市史こぼれ話 ㉝ 伊丹空港のおいたち
「(前略)ベトナム戦争の激化にともなってアメリカ軍用機の離着陸がさかんに行われている(後略)」
『裁かれる空港』読売新聞阪神支局/編 科学情報社 1974年
P.46
「大阪空港は返還後も米軍用機が自由に離着陸。三十七年にはベトナム戦争への本格的な介入から一段と往来が激しくなった。」
- 回答プロセス
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『総合百科事典ポプラディア 14 第3版』ポプラ社 2021年
P.122 ベトナムせんそう【ベトナム戦争】
「南ベトナム(ベトナム共和国)政権およびこれを支援するアメリカ合衆国と、南ベトナム解放民族戦線およびこれを支援する北ベトナム(ベトナム民主共和国)との戦争。戦いは1961年から1975年までつづき、南ベトナム政府軍とアメリカ軍が敗北に追い込まれた。」
『空港所在市市長の悩み』矢埜與一 航空政策研究会 1978年
「広報いたみ抜萃」より広報いたみの記事を見つける
参考
『伊丹市史 第5巻』伊丹市史編纂専門委員会/編集 伊丹市 1970年
P.829【伊丹空港軍事基地反対現地調査報告】より
自衛隊・米軍用機の発着陸数
一九六一年
八月 六八八機(二、一八八)
九月 五六五機(二、〇七二)
十月 一八八機(二、四三三)
十一月 一八八機(二、四三七)
十二月 二一三機(二、三四九)
( )内は総着陸数をあらわす。
以下確認済み資料
『翔』大阪国際空港50周年記念事業実行委員会 1990年
『空港と歩んだ70年』伊丹市立博物館/編集 伊丹市立博物館 2009年
- 事前調査事項
- NDC
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- 航空運輸 (687 10版)
- 近畿地方 (216 10版)
- 参考資料
- キーワード
-
- 大阪国際空港
- 大阪空港
- 伊丹空港
- ベトナム戦争
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000339043