レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2021年10月6日
- 登録日時
- 2021/10/06 17:35
- 更新日時
- 2021/10/21 21:23
- 管理番号
- 県立長野-21-136
- 質問
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解決
テオドル・エド・フォン・レルヒが来日時に、霧ケ峰で滑降演技をしていたか、手掛かりとなる資料を知りたい。『父の絵具箱』 武井三春著 ファイバーネット 1998 【N726/318】 p.32に、「少佐がその時続いて諏訪へもやって来て、滑降演技を披露して見せることになった。」とある。この時、武井三春の父で、童画家の武井武雄は中学の授業を抜け出して、レルヒのスキーを見に行ったようだ。新潟の高田に来訪したのは明治44年1月だが、武井が見に行ったのはいつのことか。
- 回答
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以下の資料を紹介した。
1 『レルヒ 知られざる生涯』 新井博著 道和書院 2011 【784.3/アヒ】
p.91 表1 レルヒによる来日中のスキーに関する活動
明治45年1月3日「学習院の生徒にスキー指導」
p.120 表13 1911年レルヒの日本での活動
「11月末長野、松本を回り学習院の生徒とスケート」
2 『日本のスキー・スケート -明治・大正期の長野県-』 臼田明著 信毎書籍センター 2013 【784.3/ウア】は、既に調査済とのことだが、次の記述を確認。
p.50 表 レルヒの滞日動向(抄)
明治44.12.28 諏訪湖にスケートの調査に出発。波摩長重スケーターと会う。
明治45. 1. 3 学習院生をスキーに誘う
明治45. 1.5 学習院生徒にスキー指導をする(5日まで)
3 『長野新聞』
「レルヒ中佐諏訪に赴く」 明治44年12月31日(日曜日)2面
「フォンレルヒ中佐は五八連隊の鶴見大尉と同伴本日よりスキーを携行して諏訪に赴く(中略)両氏は一月三日迄諏訪に止まるべし」
「スキー滑走初まる」 明治44年12月31日(日曜日)2面
レルヒ中佐による訓練について等
上記の資料より、レルヒが諏訪を訪れたのは明治44年の12月で、会場が霧ヶ峰とは断定できなかったが、諏訪でスキーをしたということも確認。
これにより『父の絵具箱』に記述があった「少佐が、その時続いて諏訪へもやって来て、滑降演技を披露して見せることになった。」については、新潟の高田への来訪は明治44年1月だが、諏訪については明治44年12月から45年1月にかけて訪れた事を書いたのではないかと推測される。
また、『武井武雄 イルフの王様』 イルフ童画館編著 河出書房新社 2014 【N726/226】p.146の「武井武雄年表」によると、長野県立諏訪中学校を卒業したのは、大正2年(1913年)となっている。明治45年の冬の諏訪来訪でも、武井は中学4年となり『父の絵具箱』のエピソードは成立する可能性があると思われる。
- 回答プロセス
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1 事前調査済の資料を再度確認。
『父の絵具箱』(1989年六興出版の復刻版)を確認。武井武雄が旧制諏訪中学時代にレルヒのスキーを見に行ったことが書かれているが、明治何年のことかはっきりとした年代は不明。
『日本のスキー・スケート -明治・大正期の長野県-』臼田明著 信毎書籍センター 2013 で、レルヒの動向を確認。
p50 表レルヒの滞日動向(抄)
p119 明治44(一九〇〇)年一二月三〇日下諏訪町
2 当館OPACでキーワード「レルヒ スキー」を検索
『日本スキー100年誌』日本スキー発祥100周年委員会編 2014 p10により、レルヒが高田に滞在したのは明治45年1月までということが分かる。
『レルヒ知られざる生涯』
p91 表1 レルヒによる来日中のスキーに関する活動
p120 表13 1911年レルヒの日本での活動
3 当館OPACでキーワード「霧ヶ峰 スキー」を調査
『霧ヶ峰 スキーことはじめ』諏訪市博物館編 2012 に霧ヶ峰のスキーの歴史の記載あり。
4 「長野県市町村史誌等目次情報データベース」を、検索対象地域を長野県史、諏訪地域、上伊那地域で絞り、キーワード「スキー」で検索し、ヒットした以下の資料を調査
『長野県史』通史編 第八巻 近代二 長野県編 長野県史刊行会 1989
『長野県史』通史編 第九巻 近代三 長野県編 長野県史刊行会 1990
『富士見町史 下巻』富士見町編 富士見町教育委員会 2005
5 当館契約の「信濃毎日新聞データベース」で 1911年(明治44年)1月~1914年(大正3年)を調査するが該当する記事は見つからなかった。
6 「長野新聞」(マイクロフィルム)1911年(明治44年)1月~1913年(大正2年)を調査したところ、以下の該当記事の掲載あり。
「レルヒ中佐諏訪に赴く」明治四十四年十二月三十一日(日)二面
「スキー滑走初まる」明治四十四年十二月三十一日(日)二面
上記よりレルヒが諏訪を訪れたのは明治44年の12月頃と、会場が霧ヶ峰とは断定出来ないが、諏訪でスキーをしたということを確認。
7 『武井武雄 イルフの王様』で、武井武雄の諏訪中学在籍期間を調べる。
8 調査した資料に記述のあった「南信日日新聞」の所蔵を関係する機関へ問い合わせをする。
・諏訪市立図書館
南信日日新聞の所蔵を問い合わせするが、該当する年代は所蔵がないとのこと
・長野日報社
図書館に該当の年代の所蔵がないため、発行もとの長野日報社に問い合わせ
南信日日新聞については縮刷版等の所蔵を全て図書館に委嘱とのこと
9 当館には所蔵がないが、関連する記述が以下の資料に掲載されている可能性があるため、質問者の最寄り所蔵館を検索し紹介した。
『明治日本の思い出』テオドール・フォン・レルヒ著 中野理訳 中外書房 1970
<調査済み資料>
「信濃毎日新聞データベース」
『長野県史 通史編 第八巻』 長野県編 長野県史刊行会 1989 【N209/11-4/8】
『長野県史 通史編 第九巻』 長野県編 長野県史刊行会 1990 【N209/11-4/9】
『長野県スキー史』 長野県スキー連盟編 信濃毎日新聞 1978 【N784/6】
11 霧ケ峰・白樺高原
『富士見町史 下巻』 富士見町編 富士見町教育委員会 2005 【N241/121/2】
『霧ヶ峰 スキーことはじめ』 諏訪市博物館編 2012 【N784/67】
『スキーの原点を探る レルヒに始まるスキー歴史紀行』 長岡忠一著・刊 1996 【784/ナ】
『清陵八十年史』 諏訪清陵高等学校同窓会/同校八十年史刊行委員会編 諏訪清陵高等学校同窓会 1981 【N376.4/88】
『日本スキー100年誌』 日本スキー発祥100周年委員会編 2014 【N784/77】
- 事前調査事項
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『父の絵具箱』 武井三春著 ファイバーネット 1998
『日本のスキー・スケート -明治・大正期の長野県-』 臼田明著 信毎書籍センター 2013
- NDC
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- 冬季競技 (784 10版)
- 中部地方 (215 10版)
- 参考資料
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新井博 著 , 新井, 博, 1956-. レルヒ知られざる生涯 : 日本にスキーを伝えた将校. 道和書院, 2011.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000011209545-00 , ISBN 9784810521160 (【784.3/アヒ】) -
臼田明 著 , 臼田, 明, 1948-. 日本のスキー・スケート : 明治・大正期の長野県. 信毎書籍出版センター, 2013.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I025151356-00 , ISBN 9784884111236 (【784.3/ウア】) -
武井三春著 , 武井, 三春. 父の絵具箱. ファイバーネット, 1998.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000096-I007758680-00 (【N726/318】)
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新井博 著 , 新井, 博, 1956-. レルヒ知られざる生涯 : 日本にスキーを伝えた将校. 道和書院, 2011.
- キーワード
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- レルヒ
- スキー
- 霧ヶ峰
- 信州学
- 武井武雄
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査 文献紹介 事実調査 所蔵機関調査
- 内容種別
- 郷土 人物 郷土
- 質問者区分
- 社会人 社会人
- 登録番号
- 1000305678