レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2014/02/26
- 登録日時
- 2014/02/28 00:30
- 更新日時
- 2014/02/28 11:54
- 管理番号
- 1000000795
- 質問
-
解決
「屈辱の日」という言葉は、いつ頃から使われているのか。
- 回答
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以下の資料を案内した。
1 『沖縄を知る事典』(「沖縄を知る事典」編集委員会、日外アソシエーツ、2000年)
p142 「4・28」の項に、「復帰運動が組織的に行われるようになった60年代になって「4・28」は「屈辱の日」とされ、復帰行進・海上集会が行われるなど「祖国復帰運動」のシンボルデーとして位置付けられるようになった。」とある。
2 『沖縄大百科事典 下ナ~ン』(沖縄大百科事典刊行事務局、沖縄タイムス社、1983年)
p827 「4.28ヨン・ニハチ」の項に、「沖縄ではこの日を<屈辱の日>ととらえて、1960(昭和35年)4月28日に復帰協が結成され、本土では62年に社・共両党や総評、日本青団協議会、沖縄県人会などが、この日を沖縄返還国民総決起の日と位置づけて東京の九段会館で集会を開いた」とある。
3 『沖縄事始め・世相史事典』(山城善三・佐久田繁、日本図書センター、2013年)
p680 「昭和三十五年(一九六〇年)」の項に、「さらに三十五年四月二十八日には、・・・沖縄県祖国復帰協議会が、政党労働団体、民主団体を含めて二十八団体(四十六年現在五十団体)で発足し復帰要求を大衆行動化した。それ以来、毎年四月二十八日を「屈辱の日」として・・・。」とある。
4 『琉球新報[マイクロフィルム複製本] 1961年4月』(沖縄県立図書館)
1961年4月29日(土曜日)朝刊1面「池田訪米は絶好の機会 苦難克服して復帰実現 宣言」の中に、「われわれは沖縄県民にとって屈辱の日、忘れることの出来ない一九六〇年四月二十八日に沖縄県祖国復帰協議会を結成し・・・。」とある。
5 『沖縄タイムス[マイクロフィルム複製本] 1961年4月』(沖縄県立図書館、2011年)
1961年4月29日(土曜日)朝刊1面「昨夜、盛大に復帰大会」の「宣言(全文)」にも上記4の資料と同じ内容の記事がある。
6 『沖縄県祖国復帰闘争史』(沖縄県祖国復帰闘争史編纂委員会、沖縄時事出版、1982年)
p98「宣言」に、上記4と5の資料に掲載されている宣言文がある。
7 『沖縄・教育権力の現代史』(藤沢健一、社会評論社、2005年)
p76「「屈辱の日」への過程」の項に、「周知のように、1960年代以降の沖縄における復帰運動において、4.28は、「祖国」から切り離された「屈辱の日」として 広く呼びならわされていた。」とある。
8 『琉球新報』 2013(平成25)年4月20日(土曜日)23面の記事
「61年4月8日<屈辱の日>は生まれた」で、「サンフランシスコ(対日)講和条約が発効した1952年4月28日について、沖縄県祖国復帰協議会(復帰協)は61年4月8日の第3回定期総会で「屈辱の日」と呼ぶことを決めた。」とある。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 歴史 (2 9版)
- 参考資料
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- 1 沖縄を知る事典 「沖縄を知る事典」編集委員会∥編 日外アソシエーツ 2000.5 K03/O52 p142
- 2 沖縄大百科事典 下 ナ?ン 沖縄大百科事典刊行事務局∥編 沖縄タイムス社 1983.5 K03/O52/3 p827
- 3 沖縄事始め・世相史事典 山城/善三?編著 佐久田/繁?編著 日本図書センター 2013.4 K03/Y44 p680
- 4 琉球新報[マイクロフィルム複製本] 1961年4月 [沖縄県立図書館] K07/R98
- 5 沖縄タイムス[マイクロフィルム複製本] 1961年4月 [沖縄県立図書館] [2011.3] K07/O52
- 6 沖縄県祖国復帰闘争史 沖縄県祖国復帰闘争史編纂委員会∥編 沖縄時事出版 1982.5 K311/O52/1 p98
- 7 沖縄/教育権力の現代史 藤沢/健一∥著 社会評論社 2005.10 K372/F66 p76
- 8 琉球新報2013年4月20日 23面
- キーワード
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- 屈辱の日
- 沖縄
- 復帰
- サンフランシスコ講和条約
- 戦後史
- 米軍占領
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査 事実調査
- 内容種別
- 郷土 郷土
- 質問者区分
- 社会人 社会人
- 登録番号
- 1000150035