レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2020/10/16
- 登録日時
- 2022/04/07 00:30
- 更新日時
- 2022/06/03 10:41
- 管理番号
- 6000006922
- 質問
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解決
生瀬の赤子谷に関するむかしばなしを探している。
載っている資料はあるか。赤子谷近くの琴鳴山のむかしばなしと関連しているようだ。
- 回答
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『生瀬の現代史1』(樽井正雄/著 生瀬地区自治会連絡協議会)P98に「琴鳴山・赤子谷エレジー」として記載あり。
『歩こう知ろう西宮、レクリエーションガイド』(西宮観光協会/編集発行)P90に「琴鳴山・赤子谷エレジー」記載あり。
内容は以下のとおり。
「平安の昔、京の左大臣の息子通麿と、美しい歌女・浅茅が身分違いの恋に落ち、有馬の湯に逃れた。
子どもも生まれ幸せな日々を送っていたが、通麿は病であの世に旅立ってしまう。
浅茅は、子どもを育てるため、京へ帰ろうとするが、有馬街道をたどり蓬莱峡もはずれのあたりまできたところで、子どもが急死してしまう。
すべての希望を失った浅茅は、琴を奏でたあと自ら死んでいった。
それから、この山の辺りを通る旅人の耳に、悲しげな琴の音と赤子の声が聞こえるようになった。
そこで、村人たちは、有馬の温泉寺の偉いお坊さんを招いて厚く回向するとともに、この山を「琴鳴山」、前の谷を「赤子谷」と呼ぶようになったということである」
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
- 参考資料
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- 樽井正雄/著. 生瀬の現代史. 生瀬地区自治会連絡協議会 生瀬自治会, 2008.
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西宮観光協会 編集 , 西宮観光協会. 歩こう知ろう西宮 : レクリエーションガイド. 西宮観光協会, 1977.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I057543748-00
- キーワード
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- 赤子谷,琴鳴山,昔話,西宮,生瀬
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000314788