レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2021年11月09日
- 登録日時
- 2021/11/09 13:36
- 更新日時
- 2024/03/24 16:48
- 管理番号
- K0003
- 質問
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解決
みどり市大間々町の星野姓と、東町の星野姓の由来について、詳しく知りたい。
- 回答
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①みどり市大間々町の星野姓について
質問者が確認済みの『上州の苗字と家紋 上巻』P.190に、
先祖は奥州藤原三代の残党で沼田奥に落人として来たという。(後略)
との記述あり。
『角川日本姓氏歴史人物大辞典 10 群馬県姓氏家系大辞典』P.618にも、
大間々のほか桐原・浅原などに星野氏がある。先祖は奥州藤原氏の残党で、沼田辺に落人として移住したという。始祖は星野図書といい、最初沼田氏に仕え、のちに由良氏の家臣となる。その子孫は帰農、土着し、鍛冶屋を兼ねたといい、小平の仁一家は通称「かじや」と呼ばれている。
との記述あり。
②みどり市東町の星野姓について
質問者が確認済みの『角川日本姓氏歴史人物大辞典 10 群馬県姓氏家系大辞典』P.618に、
先祖は安倍宗任の家臣で、当地に土着したという星野氏がある。宗家は花輪字栃原の宏一家で、一族は小夜戸・座間に分かれている。
との記述あり。
また、『勢多郡東村誌 通史編』P.168~
小夜戸の星野姓について、
星野氏の先祖が、室町時代に石川隠岐守源義景とともに土着した数家の内の一家であり、
永享二年(1430)に、小夜戸地方に土着し、金山城主に年貢を納めていた、
との記述あり。
また、星野長之は、応永三十二年(1425)鎌倉に生まれ、享徳二年小夜戸に移り帰農、
との記述あり。
P.1093に、
東村の中では星野姓が多いが、これはこの谷から利根郡一般にかけてであり、まとまった伝承はない。
との記述あり。
また、『勢多郡東村の民俗』P.83に、
「東村における主なる姓氏分布」の表があり、部落ごとの軒数が載っています。
表によれば、星野家は、
荻原に8軒、花輪1区に7軒、花輪2区に21軒、花輪3区に9軒、小夜戸に10軒、小中に2軒、神戸に11軒、座間に9軒、草木に8軒、沢入に5軒ありますが、
P.82に、
これら一々の姓が、みな同系と見ることはできない
との記述があります。
東町の星野姓は、地域的に、大間々町と同じ由来のものや黒保根町と同じ由来のものもあるかもしれません。
【補足】桐生市黒保根町の星野姓について
『黒保根村誌 本編1』P.110に、
水沼の星野家は、遠祖は藤原秀郷で、先祖を星光院家とするという。康平五年に源義家が前九年の役後上洛する途上、安倍氏の家人であった阿久沢氏とともに、この地にとどまった三兄弟の1人ともいう。
との記述あり。
『角川日本姓氏歴史人物大辞典 10 群馬県姓氏家系大辞典』にも、同様の記述あり。
- 回答プロセス
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質問者が確認済みとのことでしたが、『角川日本姓氏歴史人物大辞典 10 群馬県姓氏家系大辞典』と『上州の苗字と家紋 上巻』を確認し、その後、『大間々町誌 通史編 上巻』、『勢多郡東村誌 通史編』 、『勢多郡東村の民俗』等を調べました。
『大間々町誌 通史編 上巻』には、記載がありませんでした。
『勢多郡東村の民俗』に、東町の星野姓がみな同系と見ることはできないとの記述があったので、
地域的に近い『黒保根村誌 本編1』も調べました。
『山田郡誌』『勢多郡誌』『群馬の苗字』『群馬の苗字 続』『群馬県の名字』
には、記載がありませんでした。
- 事前調査事項
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『角川日本姓氏歴史人物大辞典 10 群馬県姓氏家系大辞典』
『上州の苗字と家紋 上巻』
などは確認済み。
- NDC
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- 系譜.家史.皇室 (288)
- 参考資料
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『上州の苗字と家紋 上巻』
萩原進/編
上毛新聞社 1979.2 -
『勢多郡東村誌 通史編』 勢多郡東村誌編纂室/編
東村(勢多郡) 1998 -
『勢多郡東村の民俗』
群馬県教育委員会/編
前橋 1966
(群馬県民俗調査報告書) -
『黒保根村誌 本編1』
黒保根村誌編纂室/編
黒保根村(勢多郡) 1997 -
『角川日本姓氏歴史人物大辞典 10 群馬県姓氏家系大辞典』
群馬県姓氏家系大辞典編纂委員会∥編著
角川書店 1994.12
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『上州の苗字と家紋 上巻』
- キーワード
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- 星野姓
- 星野氏
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000307360