レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2014年02月06日
- 登録日時
- 2014/09/11 10:18
- 更新日時
- 2014/09/11 10:18
- 管理番号
- tr329
- 質問
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解決
掛け軸の文字「鬒髪山南鬼怒源 郊原時見戦場存 欝慈洛畔両行樹 老幹猶留弾劈痕」の正しい読み方が知りたい。また、掛け軸の最後にある名前、「如楓」について知りたい。
- 回答
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次の資料に、お尋ねの漢詩の記載がありました。
・『日光市史 下巻 近現代・民俗』(日光市史編さん委員会/編 日光市 1979)
p.31-32に、「大鳥圭介の書」が数点紹介されており、その中にお尋ねの漢詩がありました。
「また日光市下鉢石町の高野忠治は、大鳥圭介が往時を回顧して作ったべつの漢詩を所蔵している。
黒髪山南鬼怒ノ源 郊原時ニ見ル戦場ノ存スルヲ
欝慈タル洛畔両行ノ樹 老幹猶留ドム弾劈痕
黒髪山の南、鬼怒川の上流の町はずれの平野に戦場が見える、山のほとりのこんもり茂った並木の老木の幹には、弾丸で裂けたあとが残っている、という意味である。」
・『明治百年野州外史』(村上喜彦/著 下野新聞社 1969)
p.205-206にお尋ねの詩についての記載がありました。
「大鳥圭介がのちに日光を訪れたさい当時を回顧して作った漢詩が日光市鉢石町、高野忠治氏方にある。
鬒髪(しんはつ)山南鬼怒ノ源
郊原時ニ見ル戦場ノ存スルヲ
欝慈(うつじ)タル洛(らく)畔両行ノ樹
老幹猶留ドム弾劈(へき)痕
大意は、『黒髪山の南、鬼怒川の上流の町はずれの平野に戦場が見える。川のほとりのこんもり茂った並木の幹には弾丸に裂けたあとが残っている』というほどのもの。如楓は圭介の号。」
※詩中の( )部分は、ルビとして振られています。
以上の内容から、「如楓」は「大鳥圭介」のことのようです。
大鳥圭介(おおとり けいすけ)の評伝はいくつか出版されています。ご参考までに、以下に数点資料をご紹介します。
・『大鳥圭介 幕府歩兵奉行、連戦連敗の勝者』(星亮一/著 中央公論新社 2011)※中公新書
・『評伝大鳥圭介 威ありて、猛からず』(高崎哲郎/著 鹿島出版会 2008)
・『われ徒死せず 明治を生きた大鳥圭介』(福本龍/著 国書刊行会 2004)
・『栃木県歴史人物事典』(栃木県歴史人物事典編纂委員会/編集 下野新聞社 1995)p.135-136
・『南柯紀行』(大鳥圭介/著,今井信郎/著 新人物往来社 1998) ※大鳥圭介の著作
- 回答プロセス
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詩の一部をインターネット検索サイトGoogleで検索すると、詩を紹介しているページがあった。
出典の記載があり(『明治百年野州外史』)、当館所蔵資料であったため確認。
また、詩の舞台が日光であったため『日光市史 下巻 近現代・民俗』を確認した。
- 事前調査事項
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鬒髪山=黒髪山とすれば、広辞苑に「男体山の別称」とある。また「鬼怒」(鬼怒川)や「戦場」(戦場ヶ原)から、日光近辺の地形や様子を読んだものではないかと考えている。
- NDC
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- 日本 (281)
- 漢詩文.日本漢文学 (919)
- 参考資料
- キーワード
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- 漢詩
- 大鳥圭介
- 栃木県
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土 人物
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000159622