レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2023年5月13日
- 登録日時
- 2023/06/10 14:15
- 更新日時
- 2023/12/03 16:01
- 管理番号
- 島根郷2023-012
- 質問
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解決
伊予国から現在の島根県に移住した「河野(コウノ)氏」についての資料。
「旧那賀郡誌」に河野氏が現在の浜田市宇野町の順興寺の裏にある、竜城山に城を築いたことが、書かれていたと思う。
『石見誌』にも「鍋石」というところに住んでいた河野氏の記述があると聞いている。
- 回答
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当館所蔵資料から、那賀郡と鹿足郡、美濃郡に、伊予国から移住したとされる河野氏がいるとわかった。
それぞれ、資料を紹介し、回答とした。
〈那賀郡〉
※那賀郡は、おおむね現在の浜田市から江津市にかけての地域。
〇資料1は、明治初期の『皇国地誌』編纂事業の一環で作成された、各町村の地誌である。
現在の浜田市宇野町は、資料1当時は那賀郡宇野村であった。
「宇野村」の「山」の項目「畑山」に、以下の記述がある。
「此山麓ニシテ天明二年ノ頃 河野八郎左エ門ト云ヘル著名ノ孝子アリ」
質問にあった「龍城山」は、「畑山」とは別の山として掲載されている。
また「古跡」の項目には、龍城山の附近には古跡が多いが、領主や創立・廃止などは不詳である旨が書かれている。
〇資料2
・p.319「孝子八郎左衛門」:「姓は河野、宇野の人なり」とあるので、資料1と同一人物だと思われる。
・p.318「有福温泉」には、河野氏が湯元を管理経営していた旨がある。
※資料2当時、現在の浜田市宇野町は有福村であった。
・p.347-349「漁山村(いさりやまむら)」には、「河野一族と称する者、石見にても少からざるが、本村の如く確かなるは多からず」とあり、「河野十内」が紹介されている。また、下の資料13の著者「藤井宗雄」は河野通機という人物について学んだ旨がある。
〇資料3には、伊予国から移住した河野氏について、以下の地域に記述がある。
・p.435「河野氏民部大輔道元」(江津市二宮村、人物の項)
征夷大将軍の令旨に奉じて、西海南海で活躍した河野道之の子だとの記述がある。子孫は二宮村・有福村、その近村に住んだとのこと。
・p.342「美川村 人物」には、「藤井宗雄」は「鍋石村土居河野家」に生まれたとある(鍋石村は資料3当時は美川村であった)。
・p.348「美川村 大三島神社」には、嘉吉のころ、「伊予竹縄城主の分れ河野何某」が勧請した旨がある。
・p.598-599「雲城村 対馬神社」伊予河野通久の子孫にあたる土居三郎左衛門正久が創立したとある。なお、雲城村は現在の浜田市金城町。
〇資料4
p.208-211「宇野八郎左衛門」
資料1、2と同一人物だと思われる。
伊予水軍の河野四郎道信の子孫だと伝えられている旨がある。
初代は仁右衛門で、八郎左衛門は五代だとのこと。
この人物の孝行がまとめられている。
〇資料5は1785年京都書林から出版された、「河野八郎左衛門」の伝記だと思われる。
序は安永10年。「順興寺現住釈恵鑑謹記」の署名がある。
資料6は、資料5の解読だが、解読者は不明で、ガリ版刷りのため、印刷が不鮮明な箇所がある。
〇資料7は島根県西部地域の地誌で、大正14年に発行された初版は国立国会図書館デジタルコレクションで公開されている。
・p.218「漁山村鍋石 芦倉城 河野重内通義」河野親経の子孫だという記述がある。また「美濃郡三谷開拓者十内通勝鍋石ニ住ス」とも。
・p.473「藤井宗雄」河野通機について学んだことが書かれている。内容は資料2とほぼ同じであるため、資料2を引用している可能性がある。
・p.487「河野八郎左衛門」資料1と同一人物だと思われる。河野十内通勝の同族である旨が書かれている。
・p.493-494「河野十内」河野親経の子孫で、那賀郡漁山村鍋石に住んだとのこと。那賀郡野坂峠に出没する大入道を退治した逸話が紹介されている。
〇資料8:p.65-67「河野十内」
資料7の那賀郡漁山村鍋石に住んでいたとされる人物の昔話。
十内は天狗から力を授かったため、とても力持ちであったが、堆肥に触れてしまったことで、天狗に嫌われ、その特別な力をなくしてしまうという内容。
〈鹿足郡〉
〇資料9 p.16-17「高尻の河野氏について」鈴政信市/著
※高尻は現在の鹿足郡吉賀町下高尻・上高尻である。
これによれば、高尻の半数近くが河野姓だとのこと。
伝説では、高尻を開拓した一人が、河野弥十郎通弘だという。
論文では、河野家の墓石銘から、該当の河野氏について考察している。
調査された墓石には次の銘があるとのこと。
「予州湯山城主河野氏弥十郎入道通弘正和頃越〇〇当国在此邑薨今村長之元祖也 奚 十七代孫 通定建立」
〇資料10は資料9で取り上げられている。
p.439-445「七日市村」
※この資料出版当時、高尻地区は七日市村であった
p.444「伐入屋敷」には、伊予国河野氏の一族河野弥十郎通弘が、正和四年三月に、吉見氏を頼って当地に来たことや、その子孫について概略が述べられている。
また、p.442「三島神社」は興国元年に河野弥十郎通弘が勧請したことが書かれている。
〇『吉賀記』は文化・文政年間に成立した、各村の歴史・地誌で、資料11は解読、資料12は口語訳に注を加えたものである。
いずれも、「高尻村」に、伊予の高縄城主河野春王丸の子孫である河野弥十郎入道通弘が、高尻にやってきたことが書かれている。
(資料11はページ付けなし、資料12の「高尻村」はp.146-156)
資料9で取り上げられている、河野氏墓石銘はじめ、子孫についても触れられている。
〇資料13の編者藤井宗雄(文政6~明治39)は、現在の浜田市出身で、国学や神道に通じた人物である。
高尻村に移住した河野氏について、次の記述がある。
・中巻p.25:暦応元年三月七日「鹿足郡高尻村三島社河野弥十郎通弘勧請」
・中巻p.57:宝徳元年八月「鹿足郡高尻郷主河野久米丸上領玄蕃相語ヒ足田小松尾城大谷左膳ヲ責ム」
・中巻p.94-95:享禄十六年三月十九日「盗賊アリ吉見頼興ヨリ高尻城河野次郎四郎ニ預シ弟盲人仙麻呂ヲ害ス」
(美濃郡)
※美濃郡は、おおむね現在の益田市に該当する地域。
〇資料7で、美濃郡三谷を河野氏が開拓した旨が書かれていた。美濃郡三谷村はその後美濃郡美都町になるため、資料14を確認した。
・p.26-27「寺戸氏のはじめ」寺戸氏は、伊予国から移住した河野氏から分かれた旨がある。
・p.693-700「河野氏」予陽盛衰記の河野系図(p.693-697)に加え、三谷の河野家とその分家の系図がある(p.697-700)。
- 回答プロセス
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質問の「旧那賀郡誌」に合致するタイトルの資料は、存在が確認できなかった。
類似したタイトルの資料1~3にあたったところ、那賀郡に移住したとされる河野氏についての記述が見つかった。
また、当館所蔵目録を「河野」のキーワードで検索したところ、鹿足郡にも伊予から移住したとされる河野氏がいることがわかった。
- 事前調査事項
- NDC
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- 中国地方 (217 8版)
- 系譜.家史.皇室 (288 8版)
- 参考資料
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【資料1】那賀郡村誌 五-二 複写.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I069331920-00 (当館請求記号:C1/449 ※貸出禁止資料) -
【資料2】那賀郡誌. 松陽新報社, 1916.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I069421429-00 (当館請求記号:092.96/2 ※貸出禁止資料) -
【資料3】大島幾太郎 著 , 大島幾太郎. 那賀郡史 復刻版. 大島韓太郎, 1976.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I069487641-00 (当館請求記号:092.6/19 ※貸出禁止資料) -
【資料4】浜田市教育委員会 編 , 浜田市教育委員会. ふるさとを築いたひとびと : 浜田藩追懐の碑人物伝. 浜田市教育委員会, 1992.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000002299758-00 (当館請求記号:郷貸出281.7/ハ92) -
【資料5】石見國孝子傳 複写. 1782.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I069112481-00 (当館請求記号:C1/1530 ※貸出禁止資料) -
【資料6】石見國孝子傳(解読).
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I069338907-00 (当館請求記号:貴重091.5/6 ※貸出禁止資料) -
【資料7】天津亘 編 , 天津亘. 石見誌 複刻版. 柏村印刷, 1973.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I069386633-00 (当館請求記号:郷貸出291.7F2/ア73) -
【資料8】大庭良美 編 , 大庭, 良美, 1909-. 石見の民話 第2集. 未來社, 2017. (〈新版〉日本の民話 ; 68)
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I027970420-00 , ISBN 9784624935689 (当館請求記号:郷貸出388.1/オ/2) -
【資料9】益田高等学校 編 , 益田高等学校. 高津川総合学術調査研究報告 補編. 益田高等学校, 1965.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I069497160-00 (当館請求記号:092.97/7/2 ※貸出禁止資料) -
【資料10】瀬藤勇市 著 , 瀬藤勇市. 鹿足郡誌. 山陰朝日新聞社, 1933.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I069412304-00 (当館請求記号:092.97/8 ※貸出禁止資料) -
【資料11】吉賀記 復刻版. 六日市町教育委員会, 1981.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I069514072-00 (当館請求記号:092.7/38 ※貸出禁止資料) -
【資料12】吉賀町文化財審議会 編 , 吉賀町文化財審議会. 吉賀記を読む : 歴史が語る. 吉賀町教育委員会, 2015.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I069547459-00 (当館請求記号:092.7/121 ※貸出禁止資料) -
【資料13】藤井宗雄 著 , 藤井宗雄. 石見年表 全. 島根県立江津工業高校, 1971.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I069348413-00 (当館請求記号:092.0/141/1-5 ※貸出禁止資料) -
【資料14】美都町 (島根県). 美都町史. 美都町史編さん委員会, 1968.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000001216109-00 (当館請求記号:貴重092.7/28 ※貸出禁止資料)
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【資料1】那賀郡村誌 五-二 複写.
- キーワード
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- 河野 (氏)--島根県
- 島根県那賀郡
- 島根県鹿足郡
- 島根県美濃郡
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 団体
- 登録番号
- 1000334372