レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2024/03/19
- 登録日時
- 2024/04/03 00:30
- 更新日時
- 2024/04/03 00:30
- 管理番号
- R1014505
- 質問
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解決
1948年(昭和23)にヘレン・ケラーが来日した際の大阪滞在時の記録はあるか。
- 回答
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以下の資料に掲載されています。
(■は図書、●は新聞記事を表します)
■『年譜で読むヘレン・ケラー:ひとりのアメリカ女性の生涯』(山崎邦夫/編著 明石書店 2011.7)
p.189-190「この年1月、毎日新聞社は『ヘレン・ケラー・キャンペーン』実施計画を公表。8/29 ヘレンとポリー、空路オーストラリアから岩国に到着」し、「一行は東京をはじめ全国の大都市を訪問し、歓迎大会などに臨んだ」あります。その後、「ポリーが大阪で体調を崩し、危険な状態となり、日本でのスケジュールが打ち切られた。10/28 横浜出発の船でシアトルに向けて帰国」したとの記述があります。
●「空から"幸福の青い鳥" ヘレン・ケラー女史岩国到着」『毎日新聞』1948年(昭和23)8月30日朝刊2面(毎日新聞データベース『毎索』で確認)
「二ヶ月の日程」として滞在予定の都市が掲載されており大阪については9月29日に大阪到着後、10月1日から3日までで3回の講演会を開催するとあります。
●「ヘレン・ケラー女史 あす岩国着で来朝」『夕刊新大阪』1948年(昭和23)8月28日朝刊1面
※『夕刊新大阪 第7巻:第872号~第993号 昭和23(1948)年7月~10月 復刻版』(不二出版 2007.5)p.117に収録
「女史の日程」として以下の通り記されています。
9月29日 大阪着。大阪ライス・ハウス(阿倍野区昭和町)、薫影[引用者註=原文ママ]女子英学院訪問
10月1日 大阪中央公会堂の大講演ののち神戸(4日)
なお実際には10月4日より滞在していたことが次の記事で報じられています。
●「ヘレン・ケラーさん来阪」『夕刊新大阪』1948年(昭和23)10月4日朝刊1面 ※『夕刊新大阪 第7巻:第872号~第993号 昭和23(1948)年7月~10月 復刻版』(不二出版 2007.5)p.191に収録
大阪到着時の写真とともに「ヘレンケラー女史は5日間名古屋で休養をとつて元気回復したトムソン女史とともにきよう4日午後1時9分歓迎の渦にとりまかれて大阪入りした(中略)女史は一たん新大阪ホテルに入り記者団と会見後午後3時からヘレン・ケラー・キャンペーン委員会、府、市、毎日新聞社共催の茶話会に臨み、あすはライトハウスの行事に出席予定」とあります。
●「ケラー女史が知事に手紙」『夕刊新大阪』1948年(昭和23)10月12日朝刊2面 ※『夕刊新大阪 第7巻:第872号~第993号 昭和23(1948)年7月~10月 復刻版』(不二出版 2007.5)p.208に収録
視覚障がい者の府民税・特別所得税の減免を求める運動への助力を求める手紙を赤間文三知事宛に送ったことが報じられています。
●「ケラー女史 28日に帰米」『夕刊新大阪』1948年(昭和23)10月25日朝刊1面 ※『夕刊新大阪 第7巻:第872号~第993号 昭和23(1948)年7月~10月 復刻版』(不二出版 2007.5)p.233に収録
UP通信の記事を引用するかたちで「トムソン女史の健康がすぐれないため」以後の旅行を取りやめ横浜よりアメリカに帰国する旨が報じられています。
[事例作成日:2024年3月19日]
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 近畿地方 (216 10版)
- 参考資料
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- B12686561 年譜で読むヘレン・ケラー 山崎/邦夫∥編著 明石書店 2011.7 289.3 978-4-7503-3430-1 (189-190)
- B12238521 夕刊新大阪 第7巻 不二出版 2007.5 071 978-4-8350-5732-3 (117,191,208,233)
- キーワード
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- ヘレン・ケラー
- 大阪
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 大阪
- 質問者区分
- 個人
- 登録番号
- 1000348650