レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2016/03/11
- 登録日時
- 2017/06/28 00:30
- 更新日時
- 2017/06/28 14:22
- 管理番号
- 所沢本-2017-008
- 質問
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解決
全員が絶望視されていたが、奇跡的に生存者がいたというアンデス山脈航空機墜落事故がいつの事か知りたい。
- 回答
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アンデス山脈に航空機が墜落した事故の日付は1972年10月13日です。
以下の資料に記載があります。
〇『世界災害史事典 1945-2009 』 日外アソシエーツ編集部/編集 日外アソシエーツ 2009年
〇『アンデスの奇蹟』 ナンド・パラード/著 山と溪谷社 2009年
また、以下のデータベースにも記載があります。
〇「聞蔵Ⅱビジュアル」 1972年12月23日 東京朝刊19面 記事タイトル:「二カ月以上も雪の山中で生存」
〇「ヨミダス歴史館」 1972年12月23日 朝刊23面 記事タイトル:「アンデス山中の墜落機 16人、奇跡の生存 二か月、救い求め下山」
- 回答プロセス
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1.所蔵資料の内容確認
〇『世界災害史事典 1945-2009 』 日外アソシエーツ編集部/編集 日外アソシエーツ 2009年
P103~104 アンデス山脈に墜落・遭難した「1972.10.13 ウルグアイ空軍機571便遭難(チリ)」について記載あり。
〇『アンデスの奇蹟』 ナンド・パラード/著 山と溪谷社 2009年
1972年10月13日のアンデス山脈航空機墜落事故の記録。
2.データベース検索 キーワード「アンデス 墜落」
【聞蔵Ⅱビジュアル】
〇1972年12月23日 東京朝刊19面 記事タイトル:「二カ月以上も雪の山中で生存」
「墜落した飛行機はウルグアイの軍用双発プロペラ機で、さる十月十三日、ラグビー選手ら四十人と乗員計四十五人を乗せたままアンデス山脈付近で行方不明となり、その後の捜索でも手がかりが得られず、全員絶望とみられていた。」と記載あり。
【ヨミダス歴史館】
〇1972年12月23日 朝刊23面 記事タイトル:「アンデス山中の墜落機 16人、奇跡の生存 二か月、救い求め下山」
「去る十月十三日ウルグアイの軍用機が四十五人を乗せたままアンデス上空で行方不明となり全員絶望とみられていたが、二か月以上もたった二十二日、サンフェルナンド警察が十六人の生存者が発見されたことを明らかにし、奇跡の生還として話題を集めている。」と記載あり。
- 事前調査事項
- NDC
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- 航空運輸 (687 9版)
- 世界史.文化史 (209 9版)
- 記録.手記.ルポルタージュ (936 9版)
- 参考資料
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- 世界災害史事典 1945-2009 日外アソシエーツ編集部/編集 日外アソシエーツ 2009.10 209.75 978-4-8169-2211-4
- アンデスの奇蹟 ナンド・パラード/著 山と溪谷社 2009.3 936 978-4-635-17818-1
- キーワード
-
- 航空機墜落事故
- アンデス山脈
- 生存者
- ラグビー選手
- 遭難
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- その他
- 質問者区分
- 一般
- 登録番号
- 1000217965