レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2011/11/18
- 登録日時
- 2012/03/15 02:00
- 更新日時
- 2012/06/03 16:12
- 管理番号
- 埼久-2011-091
- 質問
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解決
上田秋成の肖像画を探している。
- 回答
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上田秋成の肖像画の掲載のある以下の資料を紹介する。
『秋成:上田秋成没後200年によせて』
1 表紙 見返しに全図が掲載されている「上田無腸自画肖影」拡大図(部分)あり。
2 見返し 「上田無腸自画肖影」カラー図と説明文あり。掛軸全体の縮尺写真。
3 p30 「無腸居士肖像(むちょうこじしょうぞう)」掛軸縦カラー写真あり。
『上田秋成 新潮古典文学アルバム 20』
1 p9 カラー写真「秋成陶像」方観空中作(西福寺蔵)[正面から撮った写真]
2 p10 白黒写真「秋成肖像」(天理図書館蔵)として「上田無腸自画肖影」あり。
3 p60 カラー写真「無腸居士肖像(むちょうこじしょうぞう)」
「土佐秀信筆、百不知童子(慈雲尊者)賛(天理図書館蔵)。
慈雲の賛は天明六年(1786)春の染筆で時に秋成53歳。画はあるいは五十賀の時に描かせたものか。
大阪市中の淡路町切町で医者をしていた頃、即ち宣長と論を交わした頃の壮年期の肖像である。」と注あり。
4 p96 甲賀文麗人筆・秋成賛「秋成肖像」あり。
「文化四年(1807)。例の十徳を着した姿。秋成の賛は画の上部に一紙を貼り、この年秋に自らの著者を古井に捨てた折の歌を記す。死への準備をしながら、不思議にもなお意気軒昂文人の姿がここにある。」と注あり。
『上田秋成』(佐藤春夫著 桃源社 1964)
目次の次のページにカラー写真「上田秋成像」あり。
前記(1)の「秋成陶像」の右斜めの方向からとったカラー写真。
『上田秋成 有精堂選書27』
以下の写真はすべて標題紙の次頁以降に3頁続けて掲載されている。
1 「上田秋成塑像(西福寺)」として正面から撮った白黒写真あり。
坐像は4.5センチ程度。色が薄い。
2 「医師余斎像」(天理図書館) 掛軸全体を縮尺した白黒写真。白黒だが全体に暗く、薄い。
3 「上田秋成弾琴図」(天理図書館) =「上田無腸自画肖影」
見返しに全図が掲載されているが「上田無腸自画肖影」拡大図(部分)あり。
『秋成:上田秋成没後200年によせて』)で紹介されていたものと同じ白黒写真。
『雨月物語 完訳日本の古典 57』
「上田秋成自画賛肖像」天理市 天理図書館蔵
カラー17cm 絵のある部分のみ。以下のように解説文がある。
「文化五年頃成立の、秋成七十五歳前後の自画賛。ただし画像については、松村月渓(げっけい)筆とも考えられる。当時ロシア船がしばしば我が北辺を脅かし世情騒然としていたことを背景にして、琴を抱えた戯画の自像に「米ほしや綿ほしや」という自嘲をこめた戯れ歌を賛とした、人を食った秋成らしい姿がユーモラスである。」
『上田秋成全集 1』
標題紙の次頁に画像があり、p8に以下のように説明あり。
「(前略)京都富岡謙蔵氏亦画像を蔵す。これ亦文麗の原図を鐡齋画伯の模せられしものにして本書巻頭に載せたるものは、これに拠れるなり。」
- 回答プロセス
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当館所蔵の上田秋成著作(主に研究書)を調査する。
- 事前調査事項
- NDC
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- 日本文学 (910 9版)
- 参考資料
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- 『秋成:上田秋成没後200年によせて』(天理ギャラリー 2010)
- 『上田秋成 新潮古典文学アルバム 20』(長島弘明編集・執筆 池沢夏樹エッセイ 新潮社 1991)
- 『上田秋成』(佐藤春夫著 桃源社 1964)
- 『上田秋成 有精堂選書 27』(岩橋小弥太 有精堂出版 1985)
- 『雨月物語 完訳日本の古典 57』(〔上田秋成著〕高田衛校注・訳 小学館 1983)
- 『上田秋成全集 1』(上田秋成著 国書刊行会 1977)
- キーワード
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- 上田 秋成(ウエダ アキナリ)
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 人物
- 質問者区分
- その他
- 登録番号
- 1000103671