レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2021年06月17日
- 登録日時
- 2022/12/01 13:22
- 更新日時
- 2023/03/16 14:54
- 管理番号
- 水戸中2022-013
- 質問
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解決
熊本細川藩五代藩主綱利公の正室は水戸初代頼房公の娘とのこと、正室の名前が「久」とか「犬」の名前の記録がある。綱利公の正室の生母・生年等を知りたい。
綱利公の正室は、光圀公の妹とあるようだが、生母は光圀公と同じ人か。
また、頼房公の家系図はあるか。側室は数人あるようだが。
- 回答
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細川綱利公の正室である、水戸頼房公の娘について調べた。
また、光圀の実母と同一であるかの調査も行った。
鈴木暎一 『徳川光圀』 2006年 吉川弘文館
p21「光圀の母久子が谷家の出身であることは最初に述べたが」「久子が頼重と光圀の二人を生んだので」
p23「事実頼房には、谷氏、佐々木氏のほか藤原氏、三木氏、丹波氏の少なくとも五名の側室のいたことを確認できるが、正室はいなかった」
名越時正 『新版 水戸光圀』 昭和61年(1986年) 水戸史学会
p30「光圀は順序からいうと第三子として生まれたのであるが、母は第一子と同じく谷左馬介重則の娘で名を久子といった。久子は死後に靖定夫人とおくりなされる」
但野正弘 『水戸藩祖 徳川頼房公伝 水戸・東照宮 創建四百年記念』 平成29年
P70「お久の方(谷久子・高瀬局)が小石川の藩邸で、五十八歳で亡くなりました。(中略)おくりなは「靖定夫人」で、法号は「久昌院」と言いました。」
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以上から、光圀の母は谷久子であると考えられる。
綱利公の妻である、頼房公の娘(犬)については以下の文献が見つかった。
吉田俊純 『徳川光圀 悩み苦しみ、意志を貫いた人』 2015年 明石書店
p21に頼房子女の一覧表あり。
「20(第20子) 犬 /寛永11年~延宝3年(1634~75)/母 大井田七/成人後の地位 頼重養女、肥後細川綱利室」 ※表の出典は『徳川諸家系譜』とのこと
p24「20の犬と24の市の母は真善院大井田七である」
P57「院号と名は『日乗上人日記』二三六頁。なお同書には名字は「大井」となっている。」
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頼房の子・側室の名が一覧できる家系図は見つからず。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
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熊本県立図書館で、「徳川諸家系譜」・「県史8 茨城県の歴史」・「茨城県大百科事典」等で調べたが見つからず。
- NDC
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- 個人伝記 (289)
- 参考資料
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- 『徳川光圀』 鈴木暎一・著
- 『新版 水戸光圀』 名越時正・著
- 『水戸藩祖 徳川頼房公伝 水戸・東照宮 創建四百年記念』 但野正弘・著
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吉田俊純 著 , 吉田, 俊純, 1946-. 徳川光圀 : 悩み苦しみ、意志を貫いた人. 明石書店, 2015.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I026043110-00 , ISBN 9784750341279
- キーワード
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- 熊本細川藩
- 細川綱利
- 徳川頼房
- 徳川光圀
- 谷久子
- 大井犬
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介 事実調査
- 内容種別
- 郷土 人物
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000324815