レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2011/11/01
- 登録日時
- 2012/01/07 02:00
- 更新日時
- 2012/01/13 02:00
- 管理番号
- 1000000394
- 質問
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解決
昭和50年前後に、皇太子が詠んだ琉歌が歌碑として伊江島にあると聞いているがそれが載っている資料はないか。
- 回答
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下記の資料を提供する。
『世紀転換期における伊江島の諸相 2 1972年?2008年』(伊江村史2編纂委員会 2008年)
p35 「皇太子・同妃が伊江島来訪」・・・来訪された時の村の様子などが詳しく描かれている。
p36 「皇太子・同妃両殿下 御来村記念碑建立」・・・御来村記念碑の写真と説明あり。歌碑の写真はない。歌を詠んだのは皇太子とある。
“広がゆる畑 立ちゅる城山 肝ぬ忍ばらぬ 戦世ぬ事”(皇太子が詠んだ琉歌、歌碑は昭和51年 4月29日建立)
『伊江村史 上巻』(伊江村史編集委員会 1980年)
p134 昭和51年1月17日の国際海洋博覧会の閉会式に参加する途中、皇太子と同妃が伊江島に立ち寄ったとの記載あり。「皇太子・皇太子妃殿下 御来村記念碑」のそばに歌碑も建立されているとあるが、だれが詠んだか明記されていない。
『伊江島 58年度』(伊江村 1983年)
p34 「城山」
皇太子殿下御歌碑の説明文あり。
「皇太子殿下がおつくりになった、おそらくはじめての琉歌を、後日、村民に贈られた」
『沖縄タイムス 縮刷版 昭和51年1月号』(沖縄タイムス 1975年)
p249 「皇太子ご夫妻来沖 緊迫の中の伊江島」(沖縄タイムス 昭和51年1月17日 朝刊)
p251 「大警備陣に守られ 皇太子ご夫妻が再来沖」(沖縄タイムス 昭和51年1月17日 夕刊)
p253 「異様なふん囲気に包まる “戒厳令下”さながら」(沖縄タイムス 昭和51年1月17日 夕刊)
皇太子・同妃が伊江島に来島したときの記事はあるが、皇太子が詠んだ琉歌や、歌碑についての記事はなし。
他に、参考になると思われる資料を紹介する。(当館所蔵なし)
『ともしび 皇太子同妃両殿下御歌集』(婦人画報社 1986年)
p122 伊江島を詠んだ琉歌あり。 (那覇、浦添、石垣市立図書館 所蔵)
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
- 参考資料
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- 1 世紀転換期における伊江島の諸相 2 1972年?2008年 伊江村史2編さん委員会∥編 伊江村役場 2008.7 K21/I21/2 35-36
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2 伊江村史 上巻 伊江村史編集委員会∥編 伊江村役場 1980.3 K21/I21/1 134 -
3 伊江島 58年度 伊江村 [伊江村役場] 1983.? K318/I21/ 34 -
4 沖縄タイムス 縮刷版 昭和51年1月号 沖縄タイムス社 1976.2 K07/O52/ 249,251,253 -
5 ともしび 皇太子同妃両殿下御歌集 122
- キーワード
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 人物
- 質問者区分
- 登録番号
- 1000099444