レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2019/11/26
- 登録日時
- 2020/01/24 00:30
- 更新日時
- 2020/01/24 00:30
- 管理番号
- 6001039874
- 質問
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解決
南京大虐殺否定論の根拠として、日本兵と南京市民の交流の様子を撮影した写真が当時の新聞に掲載されていたことが挙げられるが、これらの写真が撮られた背景について論じている資料を探したい。
- 回答
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当時の情報規制について検証している本や、その背景についての当時の記録や回顧録等の本を紹介する。
1.当時の情報規制や新聞・雑誌のプロパガンダについて検証している文献
・『南京大虐殺否定論13のウソ』(南京事件調査研究会/編 柏書房 1999.10)12章 p.[218]-237
「南京大虐殺に関する写真には、誤用問題が少なからず起こり得る。それは、当時陸軍の厳格な検閲制度があり、たとえ虐殺現場に居合わせた記者がいたとしても、日本軍に不利な写真は撮影できなかったからだ。つまり、現在出所がはっきりしている写真というのはたいてい陸軍省お墨つきのヤラセ写真なのである。」という文章で始まり、本書の中では写真が撮られた背景について度々言及している。
・『南京戦史資料集2』(南京戦史編集委員会/編集 偕行社 1993)p.611
東京日日新聞(現毎日新聞)カメラマンの佐藤振壽氏は「中国軍の敗残兵約一〇〇名を虐殺している現場にいあわせたが、写真は撮らなかった。「無抵抗で武器を持たない人間を殺すのには、自己の精神を狂気すれすれまで高めないと、殺せないのだろう」「銃殺や刺殺を実行していた兵隊の顔はひきつり、常人の顔とは思えなかった」「写真を撮っていたら、おそらくこっちも殺されていたよ」と回想している。
・『不許可写真1:毎日新聞秘蔵(毎日ムック)』(毎日新聞社 1998.12)p.223
「日本の従軍カメラマンたちが、虐殺現場にいて、殺害場面を目撃しても、撮影しなかった最大の理由は、当時「新聞掲載事項許否判定要領」(一九三七年九月九日、陸軍省報道検関係制定)に基づく厳しい陸軍の検閲制度があって、検閲をパスしなければ報道できなかったからである。」とし、「掲載を許可せず」となっている条文を記載している。
・『南京事件資料集1:アメリカ関係資料編』(南京事件調査研究会/編訳 青木書店 1992.10)p.266
南京安全区国際委員のマッカラムは、そうした「ヤラセ写真」の撮影場面をこう日記に書き留めている。
「一九三八年一月九日 難民キャンプの入口に新聞記者が数名やって来て、ケーキ、りんごを配り、わずかな硬貨を難民に手渡して、この場面を映画撮影していた。こうしている間にも、かなりの数の兵士が裏の塀をよじ登り、構内に侵入して一〇名ほどの婦人を強姦したが、こちらの写真は一枚も撮らなかった」
・『新聞は戦争を美化せよ!:戦時国家情報機構史』(山中恒/著 小学館 2001.1)
戦時下の初等学校教育を追跡検証するノンフィクション・シリーズ『ボクラ少国民』を執筆中から戦時刊行物にしばしば登場してくる「内閣情報部・情報局」という名の政府のセクションに関心を持った著者が関連する資料を収集し、それらを元に国家情報機構の実態を明らかにしたものである。
2.これらの写真が撮られた(記事が書かれた)背景について言及している当時のカメラマンの記録や回顧録
・『従軍カメラマンの戦争』(小柳次一/写真 新潮社 1993.8)
・『報道写真の青春時代:名取洋之助と仲間たち』(石川保昌/構成・文 講談社 1991.4)
[事例作成日:2019年11月26日]
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 日本史 (210 10版)
- 参考資料
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- 南京大虐殺否定論13のウソ 南京事件調査研究会∥編 柏書房 1999.10 ([218]-237)
- 南京戦史資料集 2 南京戦史編集委員会∥編集 偕行社 1993 (611)
- 不許可写真 1 毎日新聞社 1998.12 (223)
- 南京事件資料集 1 南京事件調査研究会∥編訳 青木書店 1992.10 (266)
- 新聞は戦争を美化せよ! 山中/恒∥著 小学館 2001.1
- 従軍カメラマンの戦争 小柳/次一∥写真 新潮社 1993.8
- 報道写真の青春時代 石川/保昌∥構成・文 講談社 1991.4
- キーワード
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- 南京事件(ナンキンジケン)
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 書誌事項調査
- 内容種別
- その他
- 質問者区分
- 個人
- 登録番号
- 1000272887