レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2020/06/06
- 登録日時
- 2022/03/30 00:31
- 更新日時
- 2022/03/30 00:31
- 管理番号
- 6001055195
- 質問
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解決
十三の闇市に関する資料はあるか。
- 回答
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十三の闇市に関する資料は、以下のとおりです。
■『角川日本地名大辞典 27 大阪府』(「角川日本地名大辞典」編纂委員会/編 角川書店 1983.10)
「十三<淀川区>」の項(p.608-609)があり、次のような記述があります。
「第2次大戦の戦災で市街地の大半が灰燼に帰した。戦後の闇市を経て復興し、阪急神戸線・宝塚線・京都線の分岐点であること、国道176号・主要地方道大阪伊丹線・大阪市道淀川北岸線など主要道路が集まる交通要地であることを背景に発展した」
また、「地誌編」の「大阪市淀川区」の項(p.1414-1418)の「沿革」にも、「十三の繁栄」との見出しのもとに、次の記述があります。
「戦後まもなく昭和21年から同24年にかけて十三東之町一帯で闇市が出現してにぎわいが戻り、その後は商店街が復興され、近代的美化が図られると闇市が衰退し、新たな繁栄を開始した」(p.1416)
なお、「大阪市淀川区」は昭和49年に成立しており、それまでは「東淀川区」に所属していたことが分かります(p.1415)。
■『明日をひらくまち淀川区』(淀川区創設10周年記念事業委員会/編集 淀川区創設10周年記念事業委員会 1984)
「3.戦後の発展」に「闇市盛衰」の項があり(p.44)、次の記述があります。
「戦災で全滅した十三駅前商店街跡地に自然発生的に闇市が生まれました。すなわち、20年秋から21年1月にかけて十三駅西側に闇市が形成され、続いて駅東側十三東之町方面にもひろがり、食料品・日常生活必需品がその店頭に並びました。」
「これらの闇市が姿を消すのは、戦災復興土地区画整理事業が昭和22年から着手され、不法占拠建物が漸次撤去されたこと、戦前の地元商店街が復活し健全経営を進めたこと、ならびに経済復興とともに物価が安定したことなどによります」
続く「戦災復興土地区画整理」の項(p.45-46)では、「十三工区」に施行された戦災復興土地区画整理事業の概略が表・地図とともに記載されています。
■『東淀川区史』(川端直正/編集 東淀川区創設三十周年記念事業委員会 1956)
「第3章 商業 四 商店会」の節があり、p.202-204に十三地区の商店街の成立から本書刊行時である昭和30年ごろまでの歴史がまとめられています。同地区に広がった闇市に関する記述もあります。
■『大阪・焼跡闇市 かつて若かった父や母たちの青春』(大阪・焼跡闇市を記録する会/編 夏の書房 1975)
大阪の闇市をめぐる証言をまとめています。目次からは、十三地区に言及した証言が含まれるかどうかは判別できませんが、昭和21年8月1日の闇市閉鎖の対象地域を指定した昭和21年大阪府告示第389号が収録されており(p.67-76)、「十三警察署管内」として「十三市場」「十三市場三国支部」が挙げられています。
この大阪府告示は、大阪府公文書館のホームページで閲覧できる『大阪府公報 昭和21年7月27日号外』に掲載されています。
○『大阪府公報 昭和21年7月27日 号外』(大阪府公文書館)(2022年3月18日確認)
https://archives.pref.osaka.lg.jp/search/kenmeiInfor.do?kenmeicd=0000275366
「デジタルファイル」の項目「●allpage(allpage.pdf)」をクリックすると本文が閲覧できます。
〔事例作成日:2022年3月18日〕
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 商業史.事情 (672 10版)
- 参考資料
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- 角川日本地名大辞典 27 「角川日本地名大辞典」編纂委員会∥編 角川書店 1983.10
- 明日をひらくまち淀川区 淀川区創設10周年記念事業委員会∥編集 淀川区創設10周年記念事業委員会 1984
- 東淀川区史 川端/直正∥編集 東淀川区創設三十周年記念事業委員会 1956
- 大阪・焼跡闇市 大阪・焼跡闇市を記録する会∥編 夏の書房 1975
- https://archives.pref.osaka.lg.jp/search/kenmeiInfor.do?kenmeicd=0000275366 (『大阪府公報 昭和21年7月27日 号外』(大阪府公文書館))
- キーワード
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 大阪
- 質問者区分
- 個人
- 登録番号
- 1000314294