レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2023/12/20
- 登録日時
- 2024/03/01 00:30
- 更新日時
- 2024/03/01 00:30
- 提供館
- 宮城県図書館 (2110032)
- 管理番号
- MYG-REF-230211
- 質問
-
解決
亘理町荒浜の鳥の海にある「蛭塚」という小島について記載がある資料が見たい。
- 回答
-
下記資料に「蛭塚」に関連する記載がありました。※【 】内は当館の請求記号です。
資料1 渡部義顕著『宮城県亘理郡史』渡部義顕, 1917年【K217/ワ1】
pp.346-350.「第三十章 名所旧跡」-「鳥ノ海」の項
「(前略)灣内に約二千坪の浮嶋あり往昔晝須賀と稱せしも嶋の形蛭に似たると其の音の相通ずる處あるとより人呼んで之を蛭塚と稱するに至る(後略)」
同項に、馬場三達撰「鳥海八誦」が掲載されており、その中に「蛭塚夜雨」の記載もありました。
資料2 亘理町史編纂委員会編『亘理町史』上巻, 亘理町, 1975年【K217.1/ワ2/1】
p.764.「第四編 明治時代」-「第七章 医療の近代化」-「一 伝染病とその対策」-「2コレラ」の項
明治15年7月にコレラが流行した際の記録として、「(前略)避病院ハ鳥海蛭塚ヘト相定メ(後略)」の記述がありました。
資料3 鈴木光範編『亘理の郷めぐり』亘理町立郷土資料館, 2004年【K291.7/2004.3】
p.53.「蛭塚」の項
資料4 宮城県土木部河川課編『東日本大震災 宮城県河川海岸復旧・復興環境配慮記録誌』宮城県土木部, 2021年【K510/2021.3】
pp.316-320.「【19】蛭塚」の項
震災前と震災後の写真と復旧時における環境配慮等について記述がありました。
資料5 藤倉良雄「鳥の海と蛭塚について」『郷土わたり』(63), pp.17-20, 亘理郷土史研究会, 1989年【PK217.1/キ】
資料6 『仙臺領國繪圖』仙臺藩製圖, 写本(彩色), 1鋪, 1699年(『宮城県図書館所蔵絵図・地図解説目録』4)【KM290/セ14】
鳥の海の中に大小2つの島が描かれており、大きい島には「すが」との記載がありました。小さい島には記載がありませんでした。
https://eichi.library.pref.miyagi.jp/da/detail?data_id=040-57673-0 (最終アクセス日 : 2023/12/20)
資料7 『阿武隈川圖』□守堅製図, 自筆本(彩色), 1舖, [出版年不明](『宮城県図書館所蔵絵図・地図解説目録』231)【KM291/ア3】
図中に、鳥の海に「ヒル塚」の記載があります。
下記資料8にカラー画像が掲載されているので、御紹介します。
資料8 千葉宗久編『地図と写真で見る荒浜の歴史』千葉宗久, 2003年【K217.1/2003.7】
p.11.「阿武隈川図」
資料9 宮城縣編『宮城縣管轄磐城國亘理郡』磐城國亘理郡地圖, 写本(彩色), 1885年(『宮城県図書館所蔵絵図・地図解説目録』407)【KM291/イ3/図1】
鳥の海の中に大きい島が1つ、小さい島2つが描かれていますが、いずれも名称の記載はありませんでした。
https://eichi.library.pref.miyagi.jp/da/detail?data_id=042-64082-0 (最終アクセス日 : 2023/12/20)
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
-
- 東北地方 (212 9版)
- 参考資料
- キーワード
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- 宮城県亘理郡亘理町
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000346748