レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2022年10月26日
- 登録日時
- 2023/08/13 16:43
- 更新日時
- 2023/08/13 16:50
- 管理番号
- 0000002483
- 質問
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解決
幕末に福井藩医だった山本宗一という人物について知りたい。吉村昭『雪の花』に、笠原白翁と一緒に福井に種痘をもたらした山本宗平という医師が登場するが、関連があるかどうかも知りたい。
- 回答
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笠原白翁とともに福井に種痘をもたらした山本宗平の次男が山本洪輔であり、山本洪輔の長男が山本宗一である可能性が高いと推察します。
(1)「山本洪輔の長男が山本宗一」については、国立国会図書館デジタルコレクションの複数の公開資料に記載がありました。
『関西杏林名家集 第1輯』衛生新聞社 編 衛生新聞社 1911年 ページ付番なし
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/777555 145コマ~147コマ
・・・「山本宗一」項あり。大阪精神病院長である山本宗一(明治6年北海道宗谷生まれ)の父洪輔が旧越前藩医であったと記載されています。
『人事興信録 10版(昭和9年) 下』人事興信所 1934年
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2127128 799コマ
・・・「山本宗一」項あり。山本洪輔の長男である旨載あり。
(2)「山本宗平の次男が山本洪輔」については、ウィキペディア情報以外に情報源は確認できませんでした。
ウィキペディア「山本洪輔」項には、「幕末の越前福井藩出身の医者、蘭学者、志士、亀山社中・海援隊隊士。洪堂、復輔とも称した。諱は柳、字は子星、号は雪厳」と記載あり。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%B1%E6%9C%AC%E6%B4%AA%E8%BC%94
参考文献に下記資料が紹介されていますが、当館未所蔵のため内容未確認です。
久寳博編著『山本病院 源流とその歩み』 山本病院、1989年4月
(3)山本洪輔
上記ウィキペディアのほか、「新番格以下増補雑輩」に弟である山本淳輔とともに記載があります。
上記(2)のウィキペディア「山本洪輔」項の出典情報として、「「新番格以下増補雑輩」 福井県文書館」とあります。
福井県文書館に確認したところ、「新番格以下」は順次翻刻校正刊行しており、「増補雑輩」は3年後に刊行予定です。
原本は下記URLで公開されています。
「新番格以下増補雑輩」149コマに山本洪輔、150コマに山本洪輔の弟である山本淳輔
https://www.library-archives.pref.fukui.lg.jp/archive/da/detail?data_id=011-321440-0
(4)山本宗平
幕末~明治初期の医師名が列記された箇所『福井県医学史』p641-683、『福井藩医年代順名列』に、名前の記載はありませんでした。
ただし、種痘にかかわった医師として、『福井県医学史』p180・188・547、『済世館小史 復刻版』p23に、名前のみ記載あります。
(5)山本玄介
ウィキペディア「山本洪輔」項に、「兄は玄介(宗隆)」とあります。
『福井藩医年代順名列』には、この山本玄介のみ名前の記載があります。出典は「福井藩職員録」
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
-
- 個人伝記 (289 8版)
- 参考資料
- キーワード
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介 事実調査
- 内容種別
- 郷土 人物
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000337230