レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2023年07月09日
- 登録日時
- 2023/08/17 15:58
- 更新日時
- 2023/08/17 15:58
- 管理番号
- 0000002720
- 質問
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解決
昭和10年頃の下記事項について知りたい。
(1)えちぜん鉄道の福井口駅から勝山市(現在)へ行く線路の乗り物は、電車、ディーゼル、または蒸気汽車のいずれか。
(2)東古市駅から支線で永平寺へ行く線路を走っていたのは、電車か。
(3)車窓から九頭竜川がみえるのは、志位界駅あたりからか。
- 回答
-
(1)
えちぜん鉄道は同社ホームページによると設立が平成14年9月17日とありますので、昭和10年時点で「えちぜん鉄道」の会社名はなく、京都電灯株式会社による「越前電気鉄道」が正式な名称でした。
福井と勝山を結ぶ越前本線について下記資料があります。
ふくい私鉄サポートネットワーク∥監修 岡本英志∥製作『京福電気鉄道越前線写真帖』京福電気鉄道, 2003.1【H686/K6/3A】:;
巻末の「京都電灯概史と京福電鉄鉄道駅務・列車変遷史」(p141~)によると、「大正3・2・11 越前電気鉄道・新福井~市荒川:開業=福井県下初の電気鉄道」とあります。
また、p23に「基本的には電機動力による列車運行であったが、輸送力不足も懸念されたことから、ドイツから輸入したオーレンシュタイン・ウント・コッペル・アルトゥル・コッペル社(1912年製造)の2軸タンク式蒸気機関車1形1を列車牽引機関車として予定した。このため、1914(大正3)年3月6日付で蒸気動力併用認可を申請」とあります。ただし、p42には蒸気機関車の「貢献度は低かった」ため1919年に使用を止したとも記されています。
したがって、昭和10年時点では「蒸気機関車」ではなく、「電車」と判断してよいように思いますが、確実なことは当該資料をご確認の上ご自身で判断ください。
なお、ご質問に、「福井口駅から勝山市へ行く線路」とありましたが、昭和4年9月21日には「越前電鉄:福井~新福井:延長開業、新福井~福井口:複線化」とありますので、昭和10年段階では福井口駅からではなく、福井駅から勝山駅までがつながっていたようです。
(2)
上記年表によると、大正15年4月26日に越前電気鉄道の新福井~永平寺門前が乗入開始、翌昭和2年1月1日に永平寺駅が永平寺口に改称、これが新古市と改称されるのは昭和19年12月1日のことですので、ご質問の「東古市駅」は昭和10年時点にはなかったようです。
また、新福井から永平寺門前まで乗入していたということは、(1)と同じ車両が使われていたと判断してよいように思います。
なお、永平寺口(のちの新古市駅)-永平寺門前を結ぶ線路は、別会社である永平寺鉄道(大正13年3月創立)が翌大正14年9月16日から開通したものでした。
大正15年の乗り入れは両社が「連帯し、新福井-永平寺門前の両社相互直通運転も開始された」とあり、永平寺鉄道が京都電灯(越前電気鉄道)の子会社となるのは昭和12年6月のこととあります(上掲資料p25~26)。
したがって、福井(福井口)から永平寺までは、越前電鉄でも永平寺電鉄でもどちらでも行くことができたと考えられます。
(3)
当館資料では、どのあたりから九頭竜川が見えるかについて載っているものは見つけられませんでした。
また、現代の沿線とは建物の高さや規模等も異なるため、正確なことはわからないように思います。
なお、上掲資料p38に載る大正中期頃の「越前電鉄御案内」によると、駅名は「志位界駅」ではなく「志比堺駅」が正しいようです。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
-
- 鉄道運輸 (686 8版)
- 参考資料
- キーワード
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000337334