レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2004年05月24日
- 登録日時
- 2007/03/29 14:36
- 更新日時
- 2007/04/05 16:08
- 管理番号
- 沖県図2006-02
- 質問
-
解決
平良市の「久松五勇士顕彰碑」、石垣市伊原間の「久松五勇士上陸の地碑」のそれぞれの建設の経緯に関する資料がありますか。
- 回答
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「久松五勇士顕彰碑建設の経緯に関する資料」について、『沖縄県史別巻 沖縄近代史事典』沖縄県教育委員会編 国書刊行会 1989 p472の下段14行によると、
「1966年8月に平良市久松海岸に「久松五勇士顕彰碑」、9月に石垣島伊原間海岸に「久松五勇士上陸の地」碑が建立された」
との記述があります。
以下は参考になると思われる資料です。
1 『沖縄の百年 第2巻』新里金福、大城立裕著 太平出版社 1969
p214~217 「久松五勇士」
2 『多良間から「久松五勇士」を考える』下地康夫著 下地康夫 1991
3 『南島史学 第3号』南島史学会編 南島史学会 1973
p27~43 「日露戦役と沖縄―久松五勇士とその足跡―」牧野清著
の中でp32の上段に1966年9月久松五勇士顕彰碑建立期成会が、石垣島で建立場所決定の為、・・・ p42下段には1966年8月11日ゆかりの久松 港畔に、五人の協力を象徴した珍しいデザインの五勇士の顕彰碑が建てられた。石垣島でも同年9月、石垣在住西里松太郎氏等宮古出身有志によって、平久保半島のつけ根に当たる伊原間の東海岸寄りに、五勇士の上陸記念碑(題字揮毫荒木貞夫元陸軍大将)が建立された。・・・と記述されています。
4 『日本海々戦秘話 敵艦見ゆ沖縄五勇士』稲垣国三郎著 盛運堂 1935
5 『密牙古 第5号』沖縄歴史教育者協議会宮古支部編・刊 1972
「久松五勇士に再評価をめぐって」
6 『琉球百話』島袋源一郎著 琉球史料研究会 1965
p225~228 「バルチック艦隊を通報した宮古五勇士」
7 『沖縄技術ノート NO1~10』沖縄気象台編・刊 1972
「久松五勇士と当時の気象」
8 『青い海 第141号』青い海社編・刊 1985
p10~11 「問題ありはしないか久松五勇士」 伊江秀雄著
9 『琉球学集説 新聞切抜 62』天野鉄夫作(マイクロ複製本)
p49~51「久松五勇士の軌跡」北村伸治著
10 『琉球学集説 新聞切抜 188』天野鉄夫作(マイクロ複製本)
p51~52「久松五勇士から80年」 源武雄著
- 回答プロセス
- 事前調査事項
-
『平良市史』
『伊原間誌』
- NDC
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- 歴史 (2 9版)
- 参考資料
- キーワード
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- 久松五勇士
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 所蔵調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000034199