レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2017年08月15日
- 登録日時
- 2018/05/15 09:54
- 更新日時
- 2018/09/12 13:10
- 管理番号
- 埼熊-2018-006
- 質問
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解決
1815年にミラノで発見された、マルクス・アウレリウスとフロントの間で交わされた書簡の日本語訳を見たい。
- 回答
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全訳は見つからなかったが、以下の図書資料に訳の一部が見つかった。
『ローマ人の物語 11 終わりの始まり』(塩野七生著 新潮社 2002)p49-52
『コロッセウムからよむローマ帝国』(島田誠著 講談社 1999)p240
- 回答プロセス
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1 参考図書を〈フロント〉、〈マルクス・アウレリウス〉で検索する。
『世界大百科事典 25(フハ-ヘン)』(平凡社 2007)
p312「フロント (中略)19世紀前半にイタリアのボッビオ修道院からマルクス・アウレリウスとの往復書簡集、その他多くの書簡が発見された。」とあり。
2 《Google》(http://www.google.co.jp/ Google)を〈マルクスアウレリウス〉で検索する。
《ウィキペディア》「マルクス・アウレリウス・アントニヌス」(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%AB%E3%82%AF%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%82%A2%E3%82%A6%E3%83%AC%E3%83%AA%E3%82%A6%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%83%88%E3%83%8B%E3%83%8C%E3%82%B9 ウィキメディア財団)
「アウレリウスとフロントの往復書簡は大部分が現存しており、アウレリウスはフロントに以下の言葉を贈っている。」
出典に「Birley, Marcus Aurelius, 69.」とあり。所蔵なし。
3 NDC分類〈232〉の書架にあたる。
『ローマ人の物語 11 終わりの始まり』(回答資料)
4 自館目録を〈マルクス・アウレリウス〉で検索する。
『ローマ皇帝群像 1』(アエリウス・スパルティアヌス[ほか]著 南川高志訳 京都大学学術出版会 2004)
『ローマ皇帝歴代誌』(クリス・スカー著 月村澄枝訳 創元社 1998)
フロントへの言及はあるが、書簡の訳文なし。
5 《CiNii Articles》(http://ci.nii.ac.jp/ 国立情報学研究所)を〈マルクス & フロント〉で検索する。
島田誠著「〈研究ノート〉 マルクス・コルネリウス・フロント : 二世紀のある元老院議員の横顔」(『学習院史学 37号』p59-70 学習院大学史学会 1999.3)
フロント研究の概要と書簡集発見の経緯について記述あり。
6 自館目録を〈島田誠〉で検索する。
『コロッセウムからよむローマ帝国』(島田誠著 講談社 1999)
p229-243にフロントの項目があり、書簡について記述あり。
p240にマルクス・アウレリウス宛の書簡邦訳(部分)あり。
ウェブサイト・データベースの最終アクセス日は2017年8月15日。
- 事前調査事項
- NDC
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- 古代ローマ (232 9版)
- 参考資料
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- 『ローマ人の物語 11 終わりの始まり』(塩野七生著 新潮社 2002) , ISBN 4103096209
- 『コロッセウムからよむローマ帝国』(島田誠著 講談社 1999) , ISBN 4062581620
- キーワード
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- Fronto Marcus Cornelius(フロント マルクス コルネリウス)
- Antoninus Marcus Aurelius(アントニヌス マルクス アウレリウス)
- ローマ皇帝
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 所蔵調査
- 内容種別
- 質問者区分
- 個人
- 登録番号
- 1000235638