レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2014年01月23日
- 登録日時
- 2014/01/23 11:44
- 更新日時
- 2014/04/16 11:38
- 管理番号
- 秋田-1642
- 質問
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解決
『秋田県民歌』と『県民の歌』について
1 『県民の歌』の作詞者である、大久保笑子の経歴を知りたい。
2 『秋田県民歌』をいったん廃して『県民の歌』を新たに作ることになった経緯と、その後に『秋田県民歌』が再評価され、現在のように2曲が並列する状態となった理由を知りたい。
- 回答
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1 参考資料①のp.242に、下記の記述あり。
「昭和34年、県は「県民の歌」と県章を公募した。」
「歌詞の応募作品は県内外から183点。その中から森吉町の看護婦大久保笑子さんの作品が入選。」
また、参考資料②は、「県民の歌」の歌詞と県章の入選者の発表記事であり、顔写真と経歴の記述あり。
2 参考資料① p.238~244 の「第三部 風土と人と よみがえった秋田県民歌」に比較的詳しい記述あり。
p.242
「この「秋田県民歌」があまり県民の口に上がらなくなってしまったのは、やはり「県民の歌」が出来てからだ。」
「前年の33年には八郎潟の干拓事業に着工、34年には県庁舎が現在地に完成。2年後には秋田国体が控えていた。躍進へと向かう県政、それを背景にしての公募だった」
「「秋田県民歌」と区別するために「県民の歌」と名付けられてはいた。だが、これが発表されると、県内の学校や行事の時などに歌われるのは「県民の歌」だけになり、生きているはずの「秋田県民歌」は県民手帳をはじめ県の印刷物にも載らなくなってしまった。」
「「秋田県民歌」はもう正式のものではなくなったと思い込んでいる人も多いほどだ。」
p.243
「県広報誌「あきた」の39年1月号の随想欄に、県音楽界のリーダーだった故小野崎晋三氏の投稿が載った。「秋田県民歌の復活を提唱する」という題だった」
この随想は、WEB上で閲覧可能。
http://common.pref.akita.lg.jp/koholib/search/html/020/020_038.html (平成26年1月23日確認)
- 回答プロセス
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参考資料①の調査。
当時の新聞記事を調べるため、デジタルアーカイブ(http://da.apl.pref.akita.jp/lib/)にて「県民の歌」「大久保笑子」で検索するが、制定当時の記事は発見出来ず。
秋田県広報ライブラリ(http://common.pref.akita.lg.jp/koholib/search/)は、昭和34年は採録されておらず、制定当時の記事は発見出来ず。
「県民の歌」で検索すると 参考資料③がヒット。「「県民の歌等選定委員会」を設置し、この選定委員会が県民の歌などの選定方法を定めてそれを実施した。」との記述あり。
『秋田魁年鑑 昭和35年版』p.69の年表により、県民の歌の歌詞入選作品発表が、昭和34年9月26日であったことが判明。秋田魁新聞の翌日27日の記事を確認したところ、発表の記事②を発見。
公文書館の所蔵データベースにて、「県民の歌」で検索したところ、「県民の歌・県旗・県章関係綴」が永年保存されていることが判明。
下記資料には、関連記述なし。
『県民の歌募集歌詞』(秋田県企画室/編・発行、1959)
『県民の歌』(大久保笑子/作詞、秋田県)
『全国都道府県の歌・市の歌』(中山裕一郎/監修、東京堂出版、2012)
- 事前調査事項
- NDC
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- 声楽 (767 8版)
- 参考資料
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①秋田魁新報社政治経済部 編. ふるさとは歌われているか. 秋田魁新報社, 1981.
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000001507174-00 , ISBN 4870200023 - ②秋田魁新報 昭和34年9月27日 朝刊7面
- ③「あきた」56号 昭和42年1月号 県民のシンボル http://common.pref.akita.lg.jp/koholib/search/html/056/056_012.html
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①秋田魁新報社政治経済部 編. ふるさとは歌われているか. 秋田魁新報社, 1981.
- キーワード
- 照会先
- 寄与者
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- 秋田県公文書館
- 備考
- レファレンス協同データベース 管理番号 秋田-1448参照。
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 登録番号
- 1000143863