レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2019年10月23日
- 登録日時
- 2022/09/30 18:46
- 更新日時
- 2023/02/17 12:20
- 管理番号
- 新県図-01495
- 質問
-
解決
阿部六陽の略歴について
- 回答
-
当館所蔵資料を調査したところ、(1)(2)に阿部六陽の略歴が見つかりました。
なお、(3)に六陽の名前が、(4)に六陽と師の玉堂の逸話がありましたので、参考までに申し添えます。
(1)『越佐書画名鑑』第2版(荒木常能/編 新潟県美術商組合 2002)
p83「六日町」内「阿部六陽(あべろくよう)」の項に、名を新一郎といい、明治39年(1906)に生まれ、昭和63年(1987)10月10日、81才で没した旨の記述があります。※昭和63年は1988年ですが、原文のままです。
(2)『新潟県六日町所蔵作品図録』(総合美術研究所/編 新潟県六日町 1994)
巻末「作家略歴」[頁数なし]内「阿部六陽(あべろくよう)」の項に、1942年日本橋三越本店で初めて個展を開き、それを皮切りに多くの個展を開催した旨の記述があります。また国内各地を度々写生旅行し、1942年と1981年には中国を訪問したことや、1959年に玉堂門下の6人で三多圭会を結成し、同じころに長流会、白合会、千虹会に参加したこと等についても書かれています。
(3)『郡展30年のあゆみ 南魚沼郡美術展覧会30回記念展誌』(南魚沼郡美術展覧会実行委員会/編・発行 1997)
p9「第2回郡展の出品者目録」に、日本画部門の審査員として六陽の名前が記載されています。
(4)『新輯本朝画人伝』巻5(村松梢風/著 中央公論社 1973)
「河合玉堂」内p265~268「玉堂の虎」に、六陽が出征の際、玉堂に虎画を与えられ、敵弾が当たった瞬間に師の顔と虎の絵が浮かんで見え、なんとか一命を取り留めたという逸話が紹介されています。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
-
- 参考図書[レファレンスブック] (703 9版)
- 参考資料
- キーワード
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介 事実調査
- 内容種別
- 郷土 人物
- 質問者区分
- 登録番号
- 1000321940