レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2021年3月17日
- 登録日時
- 2022/03/21 10:52
- 更新日時
- 2022/03/21 11:06
- 管理番号
- 9000034469
- 質問
-
解決
山梨県における古流剣術「心形(しんぎょう)刀流」について知りたい。
「心形刀流」を学んだ人物や道場について書かれている資料があるか。
- 回答
-
当館所蔵資料で確認できた山梨県ゆかりの心形刀流の人物については下記の4人。
・水谷権太夫忠辰(ただとき)(号:常智子)(1694(永禄7)年-1760(宝暦10)年)
心形刀流甲州派祖。幕臣水谷権兵衛忠重の二男。1719(享保4)年に家禄400俵を継ぎ、1724(享保9)年に甲府勤番となり、甲府に移り住む。当流では印可の人といえども容易に伝授されない「無一剣」を伝えられ、この流系を甲州派、あるいは水谷派と称する。1758(宝暦8)年に番を辞した。甲府の法華寺に葬られたが、現在は無縁となって墓石もない。(出典:『全国諸藩剣豪人名事典』間島勲/著 新人物往来社)
『寛政重修諸家譜』第22(続群書類従完成会)、『甲府城総合調査報告書』(山梨県教育委員会)収録の「甲府御城付」に名前が出てくる。甲府勤番士であったことはわかるが、心形刀流との関わりについては言及されていない。
・水谷権兵衛格寿(ただひさ)(号:常機子)
忠辰の子。甲府勤番士。(出典:『全国諸藩剣豪人名事典』間島勲/著 新人物往来社)
『寛政重修諸家譜』第22(続群書類従完成会)、『甲府城総合調査報告書』(山梨県教育委員会)収録の「甲府御城付」「甲府城勤方記録」に名前が出てくる。甲府勤番士であったことはわかるが、心形刀流との関わりについては言及されていない。
・本間左源太
甲府勤番士。心形刀術。馬術・撃剣の奥儀を極め門弟が多かった。1798(寛政10)年5月14日御殿中御白書院にて上覧、5月15日御目見。(出典:『山梨県剣道史』山梨県剣道連盟、『甲府城総合調査報告書』山梨県教育委員会「甲府御城付」)
『寛政譜以降旗本家百科事典』第4巻(小川恭一/編著 東洋書林)に本間大之助時一(本間三郎佐衛門)の父として記録されている。甲府勤番であることはわかるが、心形刀流との関わりについては言及されていない。
・小宮山半左衛門
甲州浪人。「甲府市長松寺町の人、(現主 小宮山堅二氏)同家には文久二年授与の心形刀流目録・同年の北辰一刀流個条目録を蔵し、なお英名録があり、元治二年から慶応三年まで他流試合をした剣客の名が載っている」とある。(出典:『山梨県剣道史』山梨県剣道連盟)
- 回答プロセス
-
(1)心形刀流について調査。
→国立国会図書館オンラインで検索。ヒットした資料を見る。
『古武術・剣術がわかる事典』(牧秀彦/著 技術評論社)p.222江戸四大流派の一つ。二代宗家の伊庭軍兵衛秀康の高弟・水谷権太夫が甲州派の開祖。
『日本武道全集1』(人物往来社)心形刀流の章
p.336「目録集成」に「別流二代 一、甲州弟子 常智子目録 二巻 岩間氏伝」とある。常智子は水谷忠辰(p.239)。その他収録されている史料に常智子の名前は散見されるが、山梨との関わりは不明。
(2)武術に関する事典類で水谷忠辰を調査。
→『全国諸藩剣豪人名事典』(間島勲/著 新人物往来社)
p.337-338「水谷権太夫」として立項。甲府勤番として甲府に移り住んだ。門人に子の水谷権兵衛格寿、岩間大助利生(松浦静山の師)、滝川門左衛門の名前が記載されていた。
→門人の名前を同書で引くと、岩間大助利生(松浦静山の師)のみ立項。ただし、山梨と関わりがあるかは不明。
(3)郷土資料で剣術に関する資料を確認。
→『山梨の剣道』(山梨県剣道連盟)には記載なし。
『山梨県剣道史』(山梨県剣道連盟)に甲府勤番士・本間左源太と甲州浪人・小宮山半左衛門の名前があった。本間左源太についての出典は『甲府城総合調査報告書』、小宮山半左衛門については小宮山家蔵の心形刀流目録等。
(4)『角川日本姓氏歴史人物大辞典19』(角川書店)で上記までに出てきた人物名、甲府勤番について調査するが記載なし。
(5)『山梨県埋蔵文化財センター調査報告書 第222集 県指定史跡甲府城跡(下巻)』(山梨県)の甲府城関連人名索引で調査。
→水谷権田夫、格寿、本間左源太の名前あり。出典となっている史料は『甲府城総合調査報告書』に翻刻が収録されている。
(6)(3)(5)の出典『甲府城総合調査報告書』(山梨県教育委員会)にあたる。
→収録されている史料に水谷父子、本間の名前あり。水谷父子については心形刀流との関わりについての記載はない。本間左源太は甲府勤番武術免許の一人として、江戸へ出府し、剣術を上覧に入れ、絹二反を拝領、翌日御目見えに拝したとの記録あり。※「心形刀術」と記載されている。
(7)幕臣についての人名事典類を確認。
→ 『新訂寛政重修諸家譜』第22(続群書類従完成会)p.2に水谷忠辰、格寿の名前あり。心形刀流についての記述はないが、職歴、没年、法名、葬地などの記載あり。
『寛政譜以降旗本家百科事典』第4巻(小川恭一/編著 東洋書林)
p.2461、『江戸幕臣人名事典』(新人物往来社)p.946に本間三郎左衛門の父として本間左源太の名前。甲府勤番であることのみ記載あり。
(8)新聞記事を確認。
「読売新聞」データベース「ヨミダス歴史館」で検索。三重県の記事、長崎の松浦静山の記事あり。心形刀流は幕末に江戸で修行した藩士の山崎雪柳軒が亀山藩(藩主石川家)に伝えた剣術の流派。
「山梨日日新聞」データベースで検索するが該当なし。
(9)その他、古記録類を山梨県立博物館の「収蔵資料案内」から探すが該当なし。
- 事前調査事項
-
平戸藩主松浦静山も心形刀流を学んでいた。その系統は第二代宗家伊庭秀康の高弟水谷忠辰に発するもので、心形刀流甲州派とよばれたと、wikipediaに記載がある。甲州派というからには出身か所在か、何らかの形で甲州に関係があったものと思われる。
- NDC
-
- 武術 (789 10版)
- 参考資料
-
-
間島勲 著 , 間島, 勲, 1943-. 全国諸藩剣豪人名事典. 新人物往来社, 1996.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000002495483-00 , ISBN 4404023189 -
山梨県剣道連盟/編 , 山梨県剣道連盟. 山梨県剣道史. 山梨県剣道連盟, 1977.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I005546069-00 (pp.37,41,49) -
甲府城総合学術調査団/編 , 甲府城総合学術調査団. 甲府城総合調査報告書. 山梨県教育委員会, 1969.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I086068735-00 (pp.200,228,237,239,262,269-270,326) -
堀田正敦 等編 , 堀田, 正敦, 1755-1832. 寛政重修諸家譜 第22 新訂. 続群書類従完成会, 1966.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000001089075-00 (p.2) -
熊井保 編 , 熊井, 保, 1949-. 江戸幕臣人名事典 改訂新版. 新人物往来社, 1997.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000002649801-00 , ISBN 440402553X (p.946) -
小川恭一 編著 , 小川, 恭一, 1925-2007. 寛政譜以降旗本家百科事典 第4巻. 東洋書林, 1998.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000002733739-00 , ISBN 4887213069 (p.2461)
-
間島勲 著 , 間島, 勲, 1943-. 全国諸藩剣豪人名事典. 新人物往来社, 1996.
- キーワード
-
- 剣道
- 心形刀流
- 水谷忠辰
- 本間左源太
- 小宮山半左衛門
- 水谷格寿
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介 事実調査
- 内容種別
- 郷土 人物
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000313889