レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2017/10/04
- 登録日時
- 2018/01/11 18:18
- 更新日時
- 2024/01/18 14:02
- 管理番号
- 横浜市中央2506
- 質問
-
解決
神奈川県横浜市緑区長津田にある、大林寺について建立年や建立者、現在の建物や鐘楼について知りたい。
- 回答
-
次のような資料に紹介があります。
1 建立年や建立者について
建立年は、確かには伝えていないとする資料と、元亀元(1570)年とする資料があります。
建立者は、長津田村初代領主岡野房恒とする資料と、岡野氏の祖である融成とする資料があります。
(1)『新編武蔵風土記稿 〔第4期〕 第4巻 大日本地誌大系』蘆田伊人/校訂 根本誠二/補訂
雄山閣出版 1996.6
「新編武蔵風土記稿」は、江戸時代後期を中心とした、武蔵国内22郡の郡村概況を記した地誌です。
p.279-280
「大林寺」
建立年や建立者について、次のような記述があります。
「開山は清源院五世の僧麟哲なり、當寺の開闢せし年代はたしかに傳えずといへども、
この僧は慶長十三年七月二十二日示寂すと云うときは推てしるべし」
「岡野平兵衛房恒」が「老父岡越中入道江雪」の「菩提の為に當寺を起立せしと云」
また、「江雪が此寺を開基せしも知べからず」とあります。
(2)『都筑の丘に拾う さつき叢書』 戸倉英太郎/著 さつき 1955.2
p.70-80
「岡野氏の大林寺」
「此寺は、長津田の領主岡野平兵衛房恒が、父江雪斎の菩提の為に建立したと伝へられておる」とあります。
(3)『田奈の郷土誌』 「田奈の郷土誌」編集委員会/編 田奈の郷土誌編集委員会 1964.12
p.11-14
「領主岡野氏について」
岡野氏の略系、代々領主の略歴(初代(1591(天正19)年)から第11代(1868(慶応4年)まで))などの記述があります。
p.87-88
「大林寺」
建立については、次のような記述があります。
「初代房恒の開基と伝えられている。開山は愛甲郡三田村清源院の五世英顔麟哲であるが、大林寺の二世
となっている守聞和尚が師の麟哲を仰いで開山としたのである。」
「この寺にある沿革(変遷)記によると元亀元(一五七〇)年岡野越中守江雪の開基となっている」
「この沿革記は明治二〇年に二三世良价和尚が書いたもので、末尾にわずかに口碑を筆すとある」
(4)『長津田の歴史を訪ねて 長津田風土記』 林房幸/著 林房幸 1985.10
p.34-66
第六章 長津田領主岡野家
歴代の岡野家当主、岡野家にちなむ名称、伝説などについて記述があります。
岡野家の祖、江雪の本名、融成の読み方について「戸倉先生は家譜に従って、とうなりと言われたが先祖書は、みちなりと読んでいる。」とあります。
p.141~
第八章 寺院
「大林寺」
「寺の縁起によると元亀元年(一五七〇)初代の領主岡野房恒の父、板部岡江雪斎の開基で開山は愛甲郡三田村(今は厚木村)の清源院五世、英顔麟哲和尚となっている。」とあります。
寺の縁起「慈雲山大林寺沿革記」原文があります。
(5)『横浜緑区史 通史編』 緑区史編集委員会/編 緑区史刊行委員会 1993.2
p.418-423
第三編 近世
第二章 領主支配と村のしくみ
第二節 長津田村の殿様岡野氏
建立年や建立者について、
「長津田6-6-24にある曹洞宗慈雲山大林寺は、今から四〇〇年をさかのぼる元亀元年(一五七〇)、相模国愛甲郡(現厚木市三田)の曹洞宗東福山清源院の五世英顔麟哲(えいがんりんてつ)和尚を仰いで開山され、開基は当時小田原北条氏に仕えた岡野越中守江雪融成(みちなり)であると伝えられる。」とあります。
p.420
「図6 岡野家の略系」(寛政重修諸家譜および井上家先祖書による)が、あります。
2 現在の建物について
平成17(2008)年に完成しました。
「長津田大林寺 本堂など完成し「落慶式」」
「タウンニュース №640」平成20年11月13日(木)号 1面
「昭和32年に建てられた鉄筋コンクリート造りの本堂は老朽化し、耐震強度が落ちていた。」ため、平成14年に建設委員会を組織、平成17年から工事を開始し、11月7日に建物の完成を祝い「落慶式」を実施した、とあります。
3 鐘楼について
昭和40(1965)年に完成したとする資料と、昭和41(1966)年に完成したとする資料があります。
(1)『田奈の郷土誌 続』 「続・田奈の郷土誌」編集委員会/編 「続・田奈の郷土誌」編集委員会 1996
p.81-82
「大林寺梵鐘再興の記」
「昭和四十年三月に起工、同年十一月末に完成した。」とあります。
鐘楼と鐘の寸法、請負者等について紹介があります。
(2)『長津田の歴史を訪ねて 長津田風土記』 林房幸/著 林房幸 1985.10
p.147
「昭和三九年、梵鐘及び鐘楼再建を計画し、四〇年秋完成」「富山県高岡市老子製作所の鋳造である。」とあります。
(3)『新編武蔵風土記稿 〔第4期〕 第4巻 大日本地誌大系』 蘆田伊人/校訂 根本誠二/補訂 雄山閣出版 1996.6
p.280
「鐘は寛政年中開山二百年忌の時始て鋳たりと云」とあります。
(4)『田奈の郷土誌』 「田奈の郷土誌」編集委員会/編 田奈の郷土誌編集委員会 1964.12
p.87-88
「大林寺」
鐘楼については「文政二年の大火で焼失した。」とあります。
(5)『大正昭和激変の庶民生活史 長津田のあゆみ』 長津田を語る会/著 大明堂 1978.6
鐘楼について、
「かつての大火で焼失し、その上、鐘は戦時中供出されたので何もありませんでした。」
「昭和三九年、梵鐘及び鐘楼の建設を計画し、四一年三月完成したものです。」とあります。
4 画像について
横浜市立図書館デジタルアーカイブ「都市横浜の記憶」「資料をさがす」
こちらに、大林寺の本堂や山門などの写真が収録されています。
https://archive.lib.city.yokohama.lg.jp/museweb/search?cls=collect_01
検索条件のうち、地域を緑区を選択し、キーワードに大林寺を入力して検索してください。
【参考】岡野氏について
次のような資料があります。
1『寛政重修諸家譜 第8 新訂』 続群書類従完成会 1965.2
p.315-321
「寛政重修諸家譜」は、江戸幕府が編纂した近世最大の系譜集であり、旗本を調べるための基本的な資料です。
岡野氏についての系図や個々人の略伝が注記されています。
岡野氏の祖については、「融成(とをなり)がとき北条氏政のむねをうけて板部岡にあらため、其のち豊臣太閤の命によりて岡野と称す」、「越中守 剃髪号江雪」とあります。
知行地については、房恒(ふさつね)の項に「(天正)十九年聚楽の邸にをいて東照宮に拝謁しこの年武蔵国都筑郡のうちにをいて采地五百石をたまひ」とあります。
大林寺については、房恒(ふさつね)の項に「采地都筑郡長津田村の大林寺に葬る。」とあります。
2 岡野氏の祖、江雪について
『改定史籍集覧 第5冊 通記類』 近藤瓶城/編 臨川書店 1983.11
「通記第二十五 関八州古戦録 巻第九」
p.182-183
「武田晴信入道逝去附坂部岡江雪齋カ事」
なお、「関八州古戦録」は、戦国時代の軍記物語で、享保11年(1726)の編集とされます(『国史大辞典 第3巻 か』国史大辞典編集委員会/編 吉川弘文館 1983.2 p.914)。
「通記第二十六 北条五代記」
p.114-118
「五 江雪入道一興の事付男女別の事」
なお、「北条五代記」は、小田原北条氏にかかわる記事を集録した文献で、成立はほぼ元和元年(1615-24)とみられています(『国史大辞典 第12巻 ふーほ』 国史大辞典編集委員会/編 吉 川弘文館 1991.6 p597-598)。
3 大林寺境内の墓所について
(1)『横浜市文化財調査報告書 第21輯の1 緑区石造物調査報告書』 横浜市文化財総合調査会/編 横浜市教育委員会 1991.3
p.44-49
「長津田六丁目六 大林寺」
岡野家墓所等の調査結果があります。
(2)『横浜の文化財 横浜市指定・登録文化財編 第3集』 横浜市教育委員会社会教育部文化財課/編 横浜市教育委員会社会教育部文化財課 〔1993〕
p.59-66
「30 歴代の地域史跡 旗本岡野家墓所」
(最終確認日:2023年12月25日)
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
-
- 寺院.僧職 (185 8版)
- 参考資料
- キーワード
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 登録番号
- 1000228183