レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2023年02月25日
- 登録日時
- 2023/10/13 00:30
- 更新日時
- 2024/03/16 00:30
- 管理番号
- 3A22009002
- 質問
-
解決
御堂筋が拡幅して開通する昭和12年以前は、北から梅田新道、淀屋橋筋、御堂筋と呼ばれてたが、拡幅した際に全線が御堂筋と命名されている。淀屋橋筋と命名されていても、おかしくなかったと思うが、なぜ御堂筋と命名されたのか、その経緯が知りたい。
- 回答
-
以下の資料に、拡張された「御堂筋」の名称ついての関連記述が見つかりました。
(1)の記述より、当初は「淀屋橋筋」と仮定されており、「御堂筋」に最終決定されたことがうかがえます。
(1) 『大阪人 41巻10号』 (大阪都市協会 1987.10)
p.20-23 三輪雅久「都市計画街路 御堂筋のできるまで」のp.22-23「七、都市改良計画調査 仮定・淀屋橋筋」の項に、「「仮定大阪市改正街路図(大正七年五月)」に、あらためて御堂筋が別の名称で登場する。(2図参照)」とあり、「2図 大正7年仮定大阪市改正街路図の淀屋橋筋(関西建築協会雑誌所載)」とした図が掲載されており、その図に「淀屋橋筋」と記されています。
p.23「八、大阪市区改正設計 広路・御堂筋線」の項に「大正九年一月二十一日大阪市告示の大阪市区改正設計となる。(中略)御堂筋はこのなかで、大阪で一本だけの「広路」二十四間(四十四メートル)でその名も御堂筋線と決定された」とあります。
またp.24-25「御堂筋完成50周年」の記事のうち、p.24に「“御堂筋”という名称は、現在の御堂筋ができるまで南北両御堂の東側道路(淡路町~長堀川)が「御堂筋」と呼ばれていたのを採用したものである。」とあります。
(2) 『大阪春秋 -大阪の歴史と文化と産業と- 第4号 御堂筋あれこれ』 (大阪春秋社/[編] 大阪春秋社 1974.9)
p.33-54 宮本又次「御堂筋界隈由来記」のp.33-35「一、御堂筋の拡張と地下鉄の建設」の項のうち、p.33に「大正七年四月都市改良計画調査会の答申あり、幅員は四三・二Mに大拡張され、(中略)この案は現在のものの基礎となったようで、ここにおいて初めて「御堂筋線」の名称があらわれている。(中略)調査会の委員長は関一助役(のち市長)と片岡安委員であった。」とあります。
またp.34に、「かつての両御堂の前だけをかぎって御堂筋と通称していたが、淀屋橋筋をふくめて南下して、(中略)ついには難波に至るまでも、一貫して御堂筋というようになった。また淀屋橋以北の梅田新道もふくみ、昨今は北より新御堂筋に延びている。」とあります。
(3) 国立国会図書館デジタルコレクション『第一次大阪都市計画事業誌』(大阪市 昭和19) (インターネット公開) <当館書誌ID:0000584606>
https://dl.ndl.go.jp/pid/1459229/1 (2024.3.7確認)
「第三章 大阪市區改正設計 第一節 市區改正設計の調査」に関連する記述があります。
p.61-73(コマ番号85-91)「第三項 都市改良計画調査会の調査及び成案」に上述資料(1)(2)記載の「大正七年四月都市改良計画調査会」の調査報告が、収載されています。
p.73-105(コマ番号91-107)「第四項 市区改正部の調査及び成安」に大正8年11月の市区改正部案である「大阪市都市計画説明書(交通運輸之部)」が全文掲載されています。p.90(コマ番号100)「大阪市都市計画説明書(交通運輸之部) 第四章 大阪市内道路 第二表 市内幹線道路新設構築箇所調 第一等道路」に「御堂筋線」と記されており、p.94(コマ番号102)に「(一)御堂筋線」として御堂筋線の説明があります。
なお、御堂筋の名称決定の経緯については記載が確認できませんでした。
(4) 『建築と社会 第2巻 第1集第5号~第7号』 (不二出版 1991.10)
第1集第7号(大正7年5月15日)の上述資料(2)記載の「仮定大阪市改正街路図」が掲載されており、当該路線には「淀屋橋筋」の名称が確認できます。
(5) 『大阪市公報 276〜427号』(大阪市役所 1918-1920)
「大阪市公報 第三百八十一号 大正九年一月三十一日」のp.1589-1592に「大阪市告示第一号」として、上述資料(1)記載の「大阪市区改正設計」が掲載されています。
p.1590「大阪市区改正設計 街路之部 第五 一、広路」に「一、大阪駅前北野角田町三百四十九番地ノ一ヨリ大江橋、淀屋橋並長堀川及道頓堀川ノ各新橋梁ヲ経テ難波駅前難波新地五番町五十三番地ノ一ニ至ルノ路線」とありますが、告示の中で「御堂筋線」の名称は掲載されていませんでした。
以下の(6)(7)(8)ほか多くの資料に、御堂筋の名称は沿道に北御堂(西本願寺津村別院)と南御堂(東本願寺難波別院)があることに由来する旨の記述があります。
(6) 『角川日本地名大辞典 27 大阪府』 (「角川日本地名大辞典」編纂委員会/編 角川書店 1983.10)
p.1150「御堂筋」の項に、「御堂筋の名称は北御堂(西本願寺津村別院)と南御堂(東本願寺難波別院)の門前を南北に通じる3間幅の近世以来の狭い道筋に由来し」とあります。
(7) 『日本大百科全書 :2版 22 ませ-もぬ』 (小学館 1994)
p.376「御堂筋」の項に、「沿道に南御堂(東本願寺難波別院)と北御堂(本願寺津村別院)があるため名づけられた。」とあります。
(8) 『産経新聞』 2017年5月13日 大阪夕刊p.8 「【御堂筋トリビア 完成80年】なんで「御堂筋」って名前なん?」
「御堂筋の名前の由来は、本町付近の沿道にある2つの巨大な寺院とされています。ともに16世紀末、この地に移ってきた「北御堂(浄土真宗本願寺派本願寺津村別院)」と「南御堂(真宗大谷派難波別院)」。2つの御堂を結ぶ道だから、「御堂筋」ってわけです。」とあります。
以下(9)(10)の資料には「御堂筋」の名称の決定には関一元市長が関わった旨の記述がありました。
(9) 『実記百年の大阪』(読売新聞大阪本社社会部/編 朋興社 1987.1)
p.711-712「御堂筋開通 船場を貫通、大メーン・ストリート」の項にて、御堂筋の名称決定について触れられています。p.712に拡幅にかかる用地買収が行き詰った際には天皇陛下が行幸される道を作ると言って交渉し、昭和4年6月に天皇の大阪行幸があった旨の記述があり、「御堂筋という名前も、実にこの御幸を前に決まったんです。(中略)この際、新しい道に名前を付けようと会議を開き、わたしらは“御幸通り”を提案しました。しかし、関さんは“大阪にその名はおかしい。御堂さんの前の道だから御堂筋だ”と、きっぱり言われました」と記載されています。
(10) 大阪市:みちよちゃん&みちるくんの部屋
https://www.city.osaka.lg.jp/kensetsu/page/0000116189.html (2023.3.7確認)
「みちるくんのつぶやき」の項に掲載されているPDFファイル「「御堂筋って?(PDF形式, 205.89KB)」に「大阪を南北に貫く御堂筋の名前は、北御堂・南御堂と呼ばれたこの2つの別院に由来しています。名づけ親は関一元大阪市長です。」とあります
- 回答プロセス
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1.大阪府立中之島図書館「おおさかポータル」( https://www.library.pref.osaka.jp/site/osakaportal/index.html )にて、キーワード“御堂筋”で検索。(1)(2)(3)(9)の資料が見つかる。
2.大阪の地名事典類を確認、資料(6)が見つかる。
3.商用データベース「JapanKnowledge」にて、「御堂筋」の項を確認。資料(7)が見つかる。
4.当館データベース「大阪関係資料目次検索」(外部非公開)にて、キーワード“御堂筋”で検索、表示された資料を確認するが、名称にかかる記述は見つからず。
5.「レファレンス協同データベース」にて、キーワード“御堂筋”で検索するが、名称決定にかかる事例は見つからず。
6.当館の過去のレファレンス事例を確認するが、御堂筋の名称決定にかかる事例は見つからず。
7.資料(1)の引用元資料『関西建築協会雑誌』を確認、資料(4)が見つかる。
8.資料(1)の引用資料の大正9年1月21日の「大阪市公報」を探すが見つからず。1月31日であることがわかる(資料(5))。
9.「CiNii Research」にて、キーワード“御堂筋”ד名称”で検索するがヒットせず。
10.商用データベース「朝日新聞クロスサーチ」にて、縮刷版をキーワード“御堂筋”で検索するが、関連記事は見つからず。
11.雑誌『大大阪』の復刻版データベースを、題名「御堂筋」で検索するが、タイトルより名称決定にかかる記事だと思われるものは見つからず。
12.「国立国会図書館デジタルコレクション」で”御幸通”ד市長”ד関一”ד行幸”×1925-1929で検索するが有用情報なし
13.資料(9)引用の関一著「大阪市の交通機関」について調査。『都市政策の理論と実際』(関一著,三省堂,1936)に収載されているが、御堂筋名称に関する記載なし。
国立国会図書館デジタルコレクション(https://dl.ndl.go.jp/pid/1463260 (2023.3.3確認))でも閲覧可能。
14.「Googleブックス」にて、キーワード“御堂筋”ד名称”で検索、いくつか関連記述のある資料がヒットするが、北御堂、南御堂を由来とする記述の資料で、新たな有用情報は見つからず。
15.「Google」にて、キーワード“御堂筋”ד名称”で検索、資料(8)(10)が見つかる。
- 事前調査事項
- NDC
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- 近畿地方 (216 9版)
- 日本 (291 9版)
- 参考資料
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- 当館書誌ID <0080310566> 大阪人 41巻1〜12号 大阪都市協会 1987.1-12 資料(1)
- 当館書誌ID <0090013177> 大阪春秋 -大阪の歴史と文化と産業と- 第4号 御堂筋あれこれ 大阪春秋社/[編] 大阪春秋社 1974.9 資料(2)
- 当館書誌ID <0000584606> 第一次大阪都市計画事業誌 大阪市役所 1944 資料(3)
- 当館書誌ID <0000288167> 建築と社会 第2巻 第1集第5号~第7号 不二出版 1991.10 資料(4)
- 当館書誌ID <0080310696> 大阪市公報 276〜427号 大阪市役所 1918.1-12 1919.1-12 1920.1-12 資料(5)
- 当館書誌ID <0000184865> 角川日本地名大辞典 27 大阪府 「角川日本地名大辞典」編纂委員会/編 角川書店 1983.10 9784040012704 資料(6)
- 当館書誌ID <0000451702> 日本大百科全書 :2版 22 ませ-もぬ 小学館 1994 9784095261225 資料(7)
- 当館書誌ID <0000164156> 実記百年の大阪 読売新聞大阪本社社会部/編 朋興社 1987.1 9784938512040 資料(9)
- 『産経新聞』 2017年5月13日 大阪夕刊p.8 「【御堂筋トリビア 完成80年】なんで「御堂筋」って名前なん?」 資料(8)
- 大阪市:みちよちゃん&みちるくんの部屋 https://www.city.osaka.lg.jp/kensetsu/page/0000116189.html (2023.3.7確認) 資料(10)
- キーワード
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- 大阪府大阪市
- 御堂筋
- 淀屋橋筋
- 北御堂
- 南御堂
- 関一
- 關一
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000339695
- 関連ファイル
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「大阪市立図書館デジタルアーカイブ」で閲覧できます
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