レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2021年08月14日
- 登録日時
- 2022/03/02 13:20
- 更新日時
- 2022/03/02 13:21
- 管理番号
- 千県中参考-2021-19
- 質問
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解決
自由の女神像がフランスからアメリカに贈られた経緯(フランス、アメリカそれぞれの考え方)がわかる資料が見たい。
- 回答
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次の資料に関連の記述がありました。
【資料1】『グローバル化と文化の横断 中央大学学術シンポジウム研究叢書 6』(三浦信孝編 中央大学出版部 2008)
p159-190「海を渡った自由の女神」参考文献も記載されています。
p161「自由の女神像の誕生」
「1865年、独立百周年と南北戦争における「自由」の権利を記念してフランスからアメリカに何か像を贈ろうと発案したのは、法律政治学者のエドゥアール・ルフェーブル・ド・ラブレイ(1811-1883)であり」とあります。
p165ラブレイについての記述があります。
p167自由の女神像の計画が現実化したフランス国内の事情についての記述があります。
p169-176「自由の女神の受容」
【資料2】『「自由の女神」物語』(小田基著 晶文社 1990)
p67-75「ラブゥレーの晩餐会」
巻末にフランスとアメリカ双方の出来事を対比した年表、主要参考書目があります。
【資料3】『自由の女神物語』(メアリー=シャピロ文 偕成社 1987)
p4にフランスとアメリカ双方の出来事を対比した年表があります。
p5,7-8にエドワール=ド=ラブライエについての記述があります。
【資料4】『アメリカを知る事典』(斎藤真[ほか]監修 平凡社 2000)
p222「自由の女神」
「フランス人の歴史家E.de ラブレーが女神像のアメリカへの寄贈を提案」とあります。
【資料5】『ユネスコ世界遺産 1 北アメリカ』(ユネスコ世界遺産センター監修 講談社 1996)
p110「フランスで女神像建設の発想が生まれたのは1865年。その中心となったのは、歴史家で政治家でもあったエドゥワール・ド・ラブレーである。1871年にはラブレーを会長に委員会が結成され、1875年から募金運動が進められた。」とあります。
- 回答プロセス
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1 日本十進分類法253「アメリカ史」の書架を探索し、【資料4】を確認。
2 日本十進分類法709「文化財」の書架を探索し、【資料5】を確認。
3 千葉県立図書館ホームページ「図書・雑誌・視聴覚資料検索」を全項目「自由の女神」で検索し、
【資料1】【資料2】【資料3】を発見。
- 事前調査事項
- NDC
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- アメリカ合衆国 (253 9版)
- 芸術政策.文化財 (709 9版)
- 参考資料
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- 【資料1】『グローバル化と文化の横断 中央大学学術シンポジウム研究叢書 6』(三浦信孝編 中央大学出版部 2008)(0106058851)
- 【資料2】『「自由の女神」物語』(小田基著 晶文社 1990)(9104912859)
- 【資料3】『自由の女神物語』(メアリー=シャピロ文 偕成社 1987)(9600112322)
- 【資料4】『アメリカを知る事典』(斎藤真[ほか]監修 平凡社 2000)(0105541928)
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【資料5】『ユネスコ世界遺産 1 北アメリカ』(ユネスコ世界遺産センター監修 講談社 1996)
(0105126705)
- キーワード
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- 自由の女神(ジユウノメガミ)
- アメリカ合衆国-歴史(アメリカ ガッシュウコク-レキシ)
- フランス-歴史(フランス-レキシ)
- 世界遺産(セカイイサン)
- 世界を照らす自由(セカイヲテラスジユウ)
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000312938