レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 20211102
- 登録日時
- 2021/11/05 12:57
- 更新日時
- 2024/03/24 16:48
- 管理番号
- K0002
- 質問
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解決
①JR両毛線「岩宿駅」の名称が開業当時「大間々駅」であったことについて、阿左美村民と田口卯吉の質疑が分かる資料を知りたい。また、駅名が「大間々停車場」で許可が下りたという事実が分かる資料もあれば知りたい。
②『群馬縣勢多郡横野村誌』にあった、両毛鉄道「大間々駅」停車場設置の反対の記録などがわかる資料が知りたい。
③両毛鉄道の停車場設置の反対があったにも関わらず、足尾鉄道(現 わたらせ渓谷鉄道)の「大間々町駅」が開業できた理由がわかる資料が知りたい。
- 回答
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①阿左美村民と田口卯吉の質疑について
『笠懸村誌 下巻』P.689~691に、
開通一年前の明治二十一年十一月十一日付、上毛新聞に、新田郡阿左美村字岩宿に、大間々停車場を設置する
との記載があること。
阿左美村の代表者斉藤喜代太郎外21名が、両毛鉄道社長宛にいきさつを求めたこと。
また、それに対しての両毛鉄道会社社長田口卯吉からの回答書。
等、記載あり。
②『群馬縣勢多郡横野村誌』にあった、停車場設置の反対の記録などについて
『駅 上州の鉄道』P.94に、
岩宿駅が開設された当初、駅名は「大間々」だった。江戸時代銅山街道の宿場町として栄えた山田郡大間々町は、明治に入っても、近隣町村に比べて勢力の強い町だった。こうした中で両毛鉄道の最初の路線計画では、大間々町を通る予定だった。が、沿線住民の強い反対にあい、現在のルートに変更された。だが、町の実力者たちの要望で駅名だけは「大間々」とした。
との記述あり。
また、『間々はゆりかご ふるさと紀行 続』P.233~234 に、
思えば、明治二十年両毛鉄道(現両毛線)の敷設のときもそうであった。前橋-小山間の鉄道敷設計画では、当初、大間々町を鉄道が通過し大間々停車場が建設される予定だった。それを頑迷な町の一部有力者が反対したためご破算となり、結局はずっと南の笠懸村岩宿に駅ができてしまった。岩宿停車場を一時大間々停車場と呼称していたことでも、その辺りの事情が伺えよう。足尾線が明治四十四年に開通するまで、町民は桐生へ出るにも前橋へ行くにも、岩宿までてくてく歩かねばならなかった。
との記述あり。
③両毛鉄道の停車場設置の反対があったにも関わらず、足尾鉄道(現 わたらせ渓谷鉄道)の「大間々駅」が開業できた理由について
『大間々町誌 通史編 下巻』P.227 に、
足尾銅山の古河市兵衛らが発起人となり、明治三十一年六月、足尾鉄道株式会社設立認可を申請した。(中略)「設立目論見書」によると、大間々停車場(現 岩宿駅)を起点として、大間々町・黒保根村・東村を経て足尾町に達し、一方は大間々町から強戸村大字西長岡を経て、毛武鉄道太田町停車場に通ずる鉄道を敷設するというものであった。これに対し、大間々町長は町にとっての効用を種々あげて賛成意見を郡長に伝えている。
との記述あり。
また、P.25に、
足尾鉄道の開通は大間々町にとって長い念願であった
との記述あり。
また、P.229に、
大間々停車場の位置をめぐって、一・二・三丁目(上三町)側と四・五・六丁目(下三町)側との間で争いがあった。(中略)下町側のもくろみは、三丁目・横町が停車場の入り口となることを防ぎ、下町に停車場を設置させることにあったという。(中略)仲裁者の立ち会いで、三・四両町の中間に停車場を設置し、駅舎の正面に新道を開くことを足尾鉄道に陳情することで落着した。
との記述あり。
足尾鉄道の開通は、大間々町を挙げての念願であったようです。
足尾鉄道の開業に関して、反対意見があったという記述は、調査した資料では、みつかりませんでした。
また、『群馬の鉄道 1884-2006 私鉄・廃線含む群馬鉄道全史 1884 2006』P.134 には、
(足尾線)大間々駅の開業は明治44年(1911)4月15日。当初の計画では、現在の両毛線「岩宿駅」を起点とする予定であったため、岩宿駅を「両毛鉄道大間々駅」、現 大間々駅は、「大間々町駅」としていたという。
との記述あり。
- 回答プロセス
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事前調査資料の『群馬縣勢多郡横野村誌』を調べ、P.498~に、
明治二十二年両毛線敷設の時、大間々町では停車場設置に反対したため、現今の岩宿駅を通過して、そこへ名前だけ大間々駅と命名した
との記述があったので、これについて、『笠懸村誌』・『大間々町誌 通史編』等を調べました。
他に当時のことが分かる資料として、『間々はゆりかご ふるさと紀行』を調べました。
『群馬県史 通史編 8』(群馬県史編さん委員会/編 前橋 群馬県 1989)も調べましたが、記載なし。
群馬県の駅や鉄道に関する資料として、『駅 上州の鉄道』・『群馬の鉄道 1884-2006 私鉄・廃線含む群馬鉄道全史 1884 2006』等を調べました。
- 事前調査事項
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「公益財団法人渋沢栄一記念財団」HPにて、「岩宿駅」は開業当時「大間々駅」の名称であり、両毛鉄道(現 両毛線)が、元々は大間々駅を経由する予定であったことを確認。
ウィキペディアの岩宿駅のページを閲覧。
『群馬縣勢多郡横野村誌』群馬県勢多郡横野村誌編纂委員会/編 横野村(群馬県)
赤城村(勢多郡) 群馬県勢多郡横野村誌編纂委員会 1956 に、
明治二十二年両毛線敷設の時、大間々町では停車場設置に反対したため、現今の岩宿駅を通過して、そこへ名前だけ大間々駅と命名した
との記述があることを確認。
- NDC
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- 鉄道運輸 (686)
- 参考資料
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『笠懸村誌 下巻』
笠懸村誌編纂室/編
笠懸村 1987.3 -
『大間々町誌 通史編 下巻』
大間々町誌編さん室/編
大間々町(山田郡) 大間々町誌編さん室 2001 -
『駅 上州の鉄道』
読売新聞前橋支局/編 1979 -
『間々はゆりかご ふるさと紀行 続』
萩原 康次郎/著
東京 講談社出版サービスセンター(製作) 1992 -
『群馬の鉄道 1884-2006 私鉄・廃線含む群馬鉄道全史 1884 2006』
あかぎ出版∥編
太田 あかぎ出版 2006
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『笠懸村誌 下巻』
- キーワード
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- 岩宿駅
- 大間々駅
- 両毛線
- わたらせ渓谷鉄道
- 足尾線
- 照会先
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- みどり市大間々博物館(コノドント館)
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000307174