レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2022年10月20日
- 登録日時
- 2022/10/26 17:18
- 更新日時
- 2023/04/15 22:15
- 管理番号
- 県立長野-22-126
- 質問
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解決
昭和25年(1950年)から昭和30年(1955年)の「長野県教組」の正式名称について知りたい。
- 回答
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昭和25年(1950年)から昭和30年(1955年)にかけて、組織名と変更についての記述を確認した。
また、同一資料内でも他の箇所には見られない記載があるものや、同じ時期を対象に異なる名称が見られるなど、表記が錯綜している部分も確認された。
1 昭和25年(1950年)-昭和26年(1951年):「長野県教職員組合」
『長野県教組十年史』 長野県教職員組合編 1960 p.39の記述から、昭和24年(1949年)までには名称が「長野県教職員組合」となったことが確認できる。
2 昭和27年(1952年)-昭和28年(1953年):「長野県教職員組合連合会」への移行期間
(1)『長野県教組十年史』 長野県教職員組合編 1960 p.202-204の記述では、活動の法的根拠を保つため「長野県教職員組合連合会」への移行が行われているが、完全な改変が難しかったため昭和27年(1952年)5月10日時点では一部を組織するに留め、連合体としての登録が完了したのは昭和28年(1953年)としている。
(2)『長野県教組十年史』 p.203の記述によると改変の段取りを進める間の組合活動は従来通り続けたとしており、『更級・埴科 教組史』 長野県教職員組合更埴支部編 1964のp.71でも長野県教職員組合更埴支部の昭和27年(1952年)10月23日に行われた評議員会で「教職員組合市町村登録について」という議題が確認できる。
以上のことから「長野県教職員組合連合会」の成立と同時に「長野県教職員組合」が一部残存している状態であると思われるが、組織図など詳細が把握できるような記述は確認できなかった。
3 昭和29年(1954年)-昭和30年(1955年):「長野県教職員組合連合会」
『長野県教組二十年史 後期十年史』 長野県教組二十年史編纂委員会編 長野県教職員組合 1970 p.6の記述では、昭和32年(1957年)の定期大会において規約の改正を行い、「長野県教職員組合連合会」という名称から「連合会」を除いたとしている。連合体への移行完了からそれまでの期間で、組織名の変更に関する記述は確認できなかった。
- 回答プロセス
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1 当館の所蔵資料を「長野県教組」「長野県教職員組合」などのキーワードで検索し、該当する資料から年史や名鑑などを確認。
2 『信濃毎日新聞データベース』での検索は略称での記載が多く該当時期の正式名称を確定させられるようなものは確認できなかった。
3 長野県の教育に関わる資料を年代順に確認していく。
昭和23年(1948年)
・『長野県教組十年史』 長野県教職員組合編 1960【N366/249】
p.39:「さらに翌一九四八年(昭二三)二月二〇日には大学高専の教員組合が加入して県教組のなかに大学高専部が設置され、ひきつづいて幼稚園保育園の組合が設立加入し、名実ともに長野県教職員組合に成長発展」という記述を確認。
昭和24年(1949年)
・『長野県教組十年史』 (前掲)
p.149:「一九四九年(昭二四)一〇月一六日より実施をみた長野県教職員組合規約ならびに附則にもとづいて県教組は新たな活動に入った」という記述を確認。
昭和26年(1951年)
・『労働組合名鑑 昭和26年度』 長野県社会部労政課編 1951【N366/5/'51】
p.42-50:「県教職組長野支部」など長野県教職員組合の支部名が掲載されていることを確認。
p.60:「長野県教職員組合」という記載を確認。
昭和27年(1952年)
・『長野県教組十年史』 (前掲)
p.202:「一九五一年(昭二六)六月一七日に公布された教育公務員特例法附則(中略)によって連合体を組織しなければ、組合の法的活動は認められないことになった」という記述を確認。
p.203:「県教組としては、あたかも単一体組織としての規約により新年度を発足したばかりのこととて、このさいただちに完全な連合体に改変することは到底な状況にあった」「この機を逸すれば教組活動の法的根拠を失うということであったので(中略)全部の届出は漸次おこなうものとし、一部連合体を組織して中核団体とし、従前どおりの組合活動を認めることとした。五月一〇日までにとりあえず成立したのは、県執行部三役および専従者の出身校市町村と地元長野市だけであった」という記述を確認。
p.204:「漸次連合体組織への改変にむかってその段取りをすすめていったのであるが、この間の組合活動は実質的には従来となんら異なるところなくつづけられた。登録の手つづきも逐次進められ、規約の変更も終り、完全に登録がすすんで連合体組織の完成したのは一九五三年(昭二八)二月八日であった」という記述を確認。
p.254-255:「地方教育委員会設置に対する態度」という文書について「昭和二七年九月一三日 長野県教職員組合」という記述を確認。
・『更級・埴科 教組史』 長野県教職員組合更埴支部編 1964【N366/35】
昭和27年度の概況と年表はp.66から掲載されている。
p.68:「五・一〇 長野県教組が連合体として結成された」という記述を確認。
p.71:「一〇・二三 評議員会 ・教職員組合市町村登録について」という記述を確認。
昭和28年(1953年)
・『長野県教組十年史』 (前掲)
p.204:「完全に登録がすすんで連合体組織の完成したのは一九五三年(昭二八)二月八日であった」という記述を確認。
p.530:「長野県教組十年史年表」1953年の箇所に、「二・二五 県教組加入単位組合の登録が完了した」という記述を確認。
・『更級・埴科 教組史』 (前掲)
p.74:「二・二五 県教組単位組合の登録が完了した」という記述を確認。
・『長野県教育委員会年報 昭和28年度』 長野県教育委員会編 1953【N370/15/'53】
p.307:「学校関係団体」の項に「長野県教職員組合連合会」の記載を確認。前後数年のものに同様の項目は確認できず、こちらから変遷をたどることはできなかった。
・『長野県の教育 第1集』 長野県教職員組合連合会編 [1953]【N370/23/1】
表紙:「長野県教職員組合連合会」の表記を確認。
当資料は奥付が無いため発行年は確認できないが、表紙の「一九五三年第三次全国教育研究推進」という表記や報告の末尾(p.15、p.35)に「一九五三、一一、一二」「一九五三年一二月」などの日付が確認できる。
昭和29年(1954年)
・『労働組合名鑑 昭和29年度』 長野県社会部労政課編 1954【N366/5/'54】
p.1-84:長野県教職員組合の支部ではなく、「長野市教職員組合」のような市町村及び小中学校ごとの組合としての表記を確認。
p.89:「県教職組連絡会」「県教職員組合連合会松本地区連絡会」の記載を確認。
p.93:「長野県下の労働組合組織図」中に「長野県教職員組合連合会」の記載を確認。
・『長野県教組十年史』 (前掲)
p.336-337:「一九五五年(昭三〇)の八月、日教組に対し中国派遣教育視察団のなかに長野県教組の代表者を加えることの要望書を提出した」「要望書(中略)長野県教職員組合」という記述を確認。
昭和30年(1955年)
・『長野県の教育 第3集』 長野県教職員組合連合会編 [1955]【N370/23/3】
表紙:「長野県教職員組合連合会」の表記を確認。
奥付が無いため発行年は確認できないが、表紙などに「昭和三十年度」という表記が確認できる。
昭和31年(1956年)
・ 『長野県の教育 第4集』 長野県教職員組合編 [1956]【N370/23/4】
表紙:「長野県教職員組合」の表記を確認。
奥付が無いため発行年は確認できないが、表紙などに「昭和三十一年度」という表記が確認できた。本年度以降表紙などにおける組織名の表記は「長野県教職員組合」で統一されている。
・『労働組合名鑑 昭和31年度』 野県社会部労政課編 1956【N366/5/'56】
「単位労働組合の部」の中でp.59から、市町村及び小中学校ごとの組合を確認。
p.92:「県教組連合会」の掲載を確認。
p.96-97:「県教組長水地区連」(長野県教職員組合連合会の地区連絡会)などの各地域の連絡会の掲載を確認。
p.131:「長野県下の労働組合組織図」には各地区の連絡会や「特殊学校教組」などの上に位置付けられて「長野県教職員組合連合会」の掲載を確認。
昭和32年(1957年)
・『長野県教組二十年史 後期十年史』 長野県教組二十年史編纂委員会編 長野県教職員組合 1970【N366/249A】
p.6:「一、「長野県教職員組合連合会」の「連合会」を取り除き、名称の面からも単一体的性格を持つようにしたこと」という記述を確認。
<上記以外の調査資料>
『黒い嵐 長野県教組弾圧史』 市川慶蔵著 信州白樺 1975【N372/35a】
『長野県教組三十年史』 長野県教職員組合編 労働旬報社 1984 【N366/249b】
『長野県教組五十年史』 長野県教職員組合五十年史編集委員会編 長野県教職員組合 1996【N366/249d】
『資料長野県労働運動史 第1巻(1945-1952)』 長野県社会部労政課編 1963【N366/31/1】
『資料長野県労働運動史 第2巻(1953-1957)』 長野県社会部労政課編 1964【N366/31/2】
『日教組20年史資料編』 日本教職員組合編 労働旬報社 1970 【366/439】
『長野県教組佐久支部五十年史 雫の水滴も、集まれば河となり 岩をも動かす』 長野県教職員組合佐久支部五十年史編纂委員会編 長野県教職員組合佐久支部 1998【N366/271】
『長野県郷土資料総合目録 昭和48年1月1日現在』 県立長野図書館編 1977【025/238】
『[長野県議会図書室]図書目録 1969年』 長野県議会図書室編 1969【N029/2/'69】
『[長野県議会図書室]図書目録 1986年』 長野県議会図書室編 1969【N029/2/'86】
『長野県百科事典』 信濃毎日新聞社開発局出版部編 信濃毎日新聞社 1981【N030/2a】
また、長野県教職員組合のホームページでは沿革が確認できず、直接問い合わせたところ「発行している『長野県教組十年史』などの資料以外で確認することは難しい」とのこと。
- 事前調査事項
- NDC
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- 教育 (370)
- 参考資料
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長野県教職員組合/編 , 長野県教職員組合. 長野県教組十年史. 長野県教職員組合, 1960-10.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I059318525-00 -
長野県教組二十年史編纂委員会/編 , 長野県教組二十年史編纂委員会. 長野県教組二十年史 : 後期十年史. 長野県教職員組合, 1970-05.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I058972969-00 -
長野県教職員組合更埴支部/編 , 長野県教職員組合更埴支部. 更級・埴科 教組史. 長野県教職員組合更埴支部, 1964-00.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I058972181-00 -
長野県社会部労政課/編 , 長野県社会部労政課. 労働組合名鑑 昭和26年度. 長野県, 1951-00.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I058972460-00 -
長野県社会部労政課/編 , 長野県社会部労政課. 労働組合名鑑 昭和29年度. 長野県, 1954-00.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I058972461-00 -
長野県社会部労政課/編 , 長野県社会部労政課. 労働組合名鑑 昭和31年度. 長野県, 1956-00.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I058972462-00 -
長野県教職員組合連合会/編 , 長野県教職員組合連合会. 長野県の教育 第1集. 長野県教職員組合連合会, 1953-00.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I058961746-00 -
長野県教職員組合連合会/編 , 長野県教職員組合連合会. 長野県の教育 : 第2次教育研究県集会報告、第5次教育研究全国集会報告書 第3集. 長野県教職員組合連合会, 1956-00.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I058961748-00 -
長野県教職員組合/編 , 長野県教職員組合. 長野県の教育 : 第3次教育研究県集会報告、第6次教育研究全国集会報告書 第4集. 長野県教職員組合, 1957-00.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I058961749-00 -
長野県教育委員会/編 , 長野県教育委員会. 長野県教育委員会年報 昭和28年度. 長野県教育委員会, 1955-03.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I059339617-00
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長野県教職員組合/編 , 長野県教職員組合. 長野県教組十年史. 長野県教職員組合, 1960-10.
- キーワード
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- 長野県教組
- 長野県教員組合
- 長野県教職員組合
- 労働組合
- 照会先
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- 長野県教職員組合
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000323052