レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2023年5月21日
- 登録日時
- 2023/09/06 12:58
- 更新日時
- 2024/01/13 12:50
- 管理番号
- 大分県立郷土-2023-005
- 質問
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解決
大分県は15藩領があったとどの書籍にも書かれているが、高田藩を含めた書籍を見つける事ができない。高田藩を含めたら16藩領ではないか。
- 回答
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大分県の藩数が15となっていることについて、「大分県史」の中に以下の記述があった。
『大分県史 近世篇 1』大分県総務部総務課/編 大分県 1983.3
P1 序 「藩主や藩領の変遷を経て、八藩七領で明治維新を迎えました。」
ちなみに近世篇1は森藩、佐伯藩、臼杵藩、岡藩
近世篇2は府内藩、日出藩(立石領含む)、杵築藩、中津藩
近世篇3は熊本藩領、延岡藩領、島原藩領、時枝領、宇佐神宮領、幕府領が掲載されている。
この記述から、明治維新頃に存在していた大分県の藩領が15であったと読み取れる。
次に、高田藩について、下記の資料に掲載がある。
【1】『藩史大事典 第7巻 九州編』木村礎/〔ほか〕編 雄山閣出版 1988.7
P369 高田藩
藩の概観があり、正保2年(1645)に廃藩、寛文9年(1669)に島原藩の「豊洲御領」となる、という
記述がある。
【2】『藩史総覧』新人物往来社 1977.12
P390 高田藩
「江戸時代前期、高田(豊後高田市)周辺を領有した譜代小藩」とあり、正保2年(1645)に廃藩とな
るまでの説明がある。
【1】【2】の資料には「大分県史」掲載の藩以外にも高田藩のほかに亀川藩、中津留藩などが
掲載されている。
それぞれ凡例には、慶長の頃から廃藩置県までに中途廃絶も含めて存在した藩(大名)を掲載
しているとある。
このことから、廃絶となってしまった藩が大分県内にほかにも複数あったことが読み取れる。
なお、【1】の資料の記述から【3】『大分県史 近世篇 3』大分県 1988.3 の「島原藩領」を
確認したところ、高田藩という表現は使われていないものの、
【1】に記載された内容と類似した解説を確認でき、明治維新頃には高田藩にあたる地域は島原藩領で
あったことが読み取れる。
また、下記の資料でも高田地域の支配の変遷を確認することができた。
【4】『豊後高田市史 通史編』豊後高田市 1998.8
P262-303 第4編 近世 第1章 近世高田地域の政治と支配
高田地域の支配の移り変わりについて解説されており、「高田藩」という言葉が使われている部分がある。
この資料でも島原藩領へ編入となったことが書かれている。
- 回答プロセス
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1 質問者が出典としてあげている「大分県史」の記述を確認する。
2 当館所蔵資料で高田藩についての記載がある資料を調べる。
3 2の資料に書かれている内容を参考に、再度「大分県史」を確認する。
4 高田藩の変遷について、豊後高田市の市史等を確認する。
5 高田「藩」という表現が使われている資料が少ないことから、「藩」という言葉について辞書等で確認する。
- 事前調査事項
- NDC
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- 九州地方 (219 10版)
- 参考資料
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【1】大分県総務部総務課 編 , 大分県. 大分県史 近世篇 1. 大分県, 1983.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000001613672-00 -
【2】藩史総覧. 新人物往来社, 1977.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000001357671-00 -
【3】大分県総務部総務課 編 , 大分県. 大分県史 近世篇 3. 大分県, 1988.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000001910568-00 -
【4】豊後高田市 編 , 豊後高田市. 豊後高田市史 通史編. 豊後高田市, 1998.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000002730037-00
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【1】大分県総務部総務課 編 , 大分県. 大分県史 近世篇 1. 大分県, 1983.
- キーワード
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- 高田藩
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000338305