レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2022年05月24日
- 登録日時
- 2023/05/02 16:39
- 更新日時
- 2023/05/17 18:47
- 管理番号
- 9000039226
- 質問
-
解決
「山梨日日新聞」1927(昭和2)年8月30日から9月19日までに掲載されている「山一林組争議」に関する記事を確認したい。
- 回答
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「山梨日日新聞」マイクロフィルムにより該当日の新聞紙面を確認したところ、次のとおり「山一林組争議」に関する記事の掲載があった。
(1)1927(昭和2)年8月31日 3面
・岡谷にも工女の罷免 きのふ正午より【岡谷電話】
(2)1927(昭和2)年9月8日 3面
・岡谷の罷業地へ 本県からも係官出張 女工の七割は山梨県人故 事件を重大視して
・罷業女工 二十八名帰郷して父兄に真相を報告
(3)1927(昭和2)年9月9日 3面
・岡谷山一の争議 形勢漸く悪化 本県出身工女も多数加り居り 父兄に促されても帰せず 工場は退去を求める【岡谷特派員電話】
・岡谷の争議に就て諒解を求む 長野県高等警察より 本県に対し
(4)1927(昭和2)年9月10日 3面
・岡谷の争議 地帯を巡りて あるがまゝ見たまゝの記(九日正午白倉特派員)
・岡谷の争議に 検事局動く 長野から武内検事出張調査 警察の圧迫加はる【岡谷特派員発電話】
(5)1927(昭和2)年9月11日 3面
・父兄の代表者 岡谷へ押かける 昨日は御慶事のため運動休止 林組工場主引退か?【岡谷電話】
・逃げ帰った女工二名 県保安課に陳情
・工場閉鎖 職工は動かず【岡谷発】
(6)1927(昭和2)年9月14日 3面
・糧道を断たれ愈々深刻化す 岡谷山一林組工場の争議 女工は五ケ所に分宿【岡谷特派員発】
・やっと食にありついた山梨争議団 十二日食道閉鎖に逢つて朝飯が午後の六時(母の家にて特派員撮影す)
・閉鎖刹那の悲痛な光景 互いに食を分ちつゝ必死の覚悟【岡谷特派員発】
・工女等弗々引上げ 気勢も折れて【岡谷電話】
・食道閉鎖に就て当局へ陳情 社会民衆党其の他から 昨夜も演説会
(7)1927(昭和2)年9月15日 3面
・第三工場も昨朝糧道を断つ 自由法曹団では幼年工の解雇に就て告訴提起【岡谷特派員電話】
・本県人二百数十名「母の家」に籠る 各方面の圧迫に黙視し難く 新聞記者団奮起す【特派員岡谷発】
・不穏の流言浮説 旺んに行はれるので 附近工場は徹宵警戒に努む 一昨夜も演説会開催【特派員岡谷発】
・労働組合の組織内容につき 岡谷署で発表【岡谷発特派員電話】
・県高等課でも 調査に着手
・内務省社会局でも 当局に注意せん【東京電話】
・平野力三氏 応援の為め岡谷へ
・争議影響調査 峡東には別段の事なし
(8)1927(昭和2)年9月16日 3面
・人道上からも 由々しき大問題 国際労働同盟婦人部の金子女史昨日来岡【岡谷特派員電話】
・岡谷署の威信落つ 傍観的態度に就て非難高まる【岡谷電話】
・工女の生活に車中の紳士同情 争議経過報告の為帰郷した工女に金を恵む【岡谷特派員発】
・工女は一先づ引上げか 役員だけ残る【岡谷特派員発】
・「母の家」声明【岡谷電話】
・白米数表を 農民組合同盟本部から
・立憲青年党でも 県人救済金の募集【岡谷特派員発】
・饑ゆる工女の為に 義捐金の募集【岡谷特派員発】
・上京陳情 岡谷争議の代表者 昨日内務省へ【東京電話】
・知事も上京し 社会局と打ち合せ【東京電話】
(9)1927(昭和2)年9月17日 3面
・会社を見限つて 引揚た者三分の一 昨日点呼の際は五百数十名 最後迄踏み止まる者【特派員岡谷発】
・本県出身の女工 百八十五名 母の家に在り【特派員岡谷発】
・荷車を挽き 食糧募集 農民自治会員【特派員岡谷発】
・父母の激励 特派員岡谷発
・争議団続々撿束さる 岡谷署血迷ふ【特派員岡谷電話】
(10)1927(昭和2)年9月18日 3面
・残留部隊を残し 工女等帰郷す 山一の争議団遂に総崩れ 岡谷駅頭の悲劇【岡谷特派員発】
・「母の家」で悲痛なる演説【特派員岡谷発】
・歌留多で籠城 母の家に立て籠つた山梨工女団 立てるは来岡した国際労働同盟幹事 金子しげる女史(写真)
(11)1927(昭和2)年9月19日 3面
・内務省に出頭 陳情した二人女工 本県落合村出身の娘 岡谷争議の裡から
- 回答プロセス
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「山梨日日新聞」マイクロフィルムにより該当日の新聞紙面を確認した。
- 事前調査事項
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『山梨県立大学地域研究交流センター2010年度研究報告書 やまなし地域女性史「聞き書き」プロジェクト』 第1章 やまなしの女性史を学ぶ「3.岡谷『母の家』と山梨の出稼ぎ工女」の中の44頁から46頁にわたって紹介されている。
- NDC
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- 労働経済.労働問題 (366 10版)
- 参考資料
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- 「山梨日日新聞」マイクロフィルム 昭和2年8月31日 3面
- 「山梨日日新聞」マイクロフィルム 昭和2年9月8日 3面
- 「山梨日日新聞」マイクロフィルム 昭和2年9月9日 3面
- 「山梨日日新聞」マイクロフィルム 昭和2年9月10日 3面
- 「山梨日日新聞」マイクロフィルム 昭和2年9月11日 3面
- 「山梨日日新聞」マイクロフィルム 昭和2年9月14日 3面
- 「山梨日日新聞」マイクロフィルム 昭和2年9月15日 3面
- 「山梨日日新聞」マイクロフィルム 昭和2年9月16日 3面
- 「山梨日日新聞」マイクロフィルム 昭和2年9月17日 3面
- 「山梨日日新聞」マイクロフィルム 昭和2年9月18日 3面
- キーワード
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- 山一林組争議
- 労働争議
- ストライキ
- 製糸業
- 長野県
- 照会先
- 寄与者
- 備考
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『国史大辞典 14』(国史大辞典編集委員会/編 吉川弘文館 1993年)〈資料番号0102628245〉p.107、『日本労働運動史事典』(高木 郁朗/監修 明石書店 2015年)〈資料番号0106543465〉p.347によると、山一林組争議は「あゝ野麦峠」の舞台となった長野県岡谷市の製糸会社・山一林組で、1927(昭和2)年8月28日から9月17日に起こった第二次世界大戦前の製糸業最大の争議。会社側は同業他社や在郷軍人会に手を回し争議団を圧迫、警察も会社側に全面的に協力した。会社は寄宿舎を閉鎖し、寮の炊事場を閉鎖して糧道を断ち、女工たちは社会事業団体の母の家に収容された。結果的に争議は、争議団側が惨敗した。
また、「山梨日日新聞」記事によると、罷業女工の7割は山梨県からの出稼ぎ女工であった。
- 調査種別
- 書誌的事項調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000332822