レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2023年9月2日
- 登録日時
- 2023/11/25 15:23
- 更新日時
- 2023/12/14 22:30
- 管理番号
- 県立長野-23-129
- 質問
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解決
昭和18年(1943年)5月から6月にかけて、朝鮮人農業報国青年隊が長野県に入ったようだが、どの地域か。
- 回答
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『長野県史 通史編 第9巻近代3』 長野県編 長野県史刊行会 1990【N209/11-4/9】には、朝鮮農業報国隊に触れておらず、昭和19年から20年にかけての戦争末期の強制労働についての記述が中心になっている。このため、長野県内で活動した報国隊が何組、何処にあったのか、どの村に入ったかなどの全体像はわからなかった。
なお、長野県の代表的な地方紙である『信濃毎日新聞』に以下の記事がある。
・「朝鮮総督府から派遣の半島青年農業増産奉公隊 上伊那郡飯島村で敢闘」
昭和18年(1943年)5月29日 夕刊 2面
・「朝鮮農業報国隊の朝鮮人青年たち 上伊那郡飯島村で活動の青年たち 学ぶ長所、説く短所」
昭和18年(1943年)6月13日 夕刊 2面
・「朝鮮農業報国隊の朝鮮人青年たち 下伊那郡河野村で30人活動 入村式も」
昭和18年(1943年)6月13日 夕刊 2面
・「半島青年農業増産奉公隊座談会(上) ただ強烈な農魂 我ら反省多きを恥ず」
昭和18年(1943年)6月17日 朝刊 4面
・「半島青年農業増産奉公隊座談会(中) 驚嘆すべき婦人勤労 部落にあふれる責任感」
昭和18年(1943年)6月18日 朝刊 4面
・「半島青年農業増産奉公隊座談会(下) ほほえましき家庭風景 営農法と共に良き土産」
昭和18年(1943年)6月19日 朝刊 4面
上記記事の座談会は、小県郡那珂塩田村に入った報国隊のもの。
昭和20年に招集組織された長野県(上伊那地域)への農耕隊ついては
・原英章・唐木達雄著「上伊那へ来た農耕勤務隊(1)-戦争末期の朝鮮半島出身の『日本兵』-」
『伊那路』66(1)(通780)2022.1 p.1-10
・原英章・唐木達雄著「上伊那へ来た農耕勤務隊(2)-戦争末期の朝鮮半島出身の『日本兵』-」
『伊那路』66(4)(通783)2022.4 p.24-29
・原英章・唐木達雄著「上伊那へ来た農耕勤務隊(3)-戦争末期の朝鮮半島出身の『日本兵』-」
『伊那路』66(5)(通784)2022.5 p.28-37
・原英章・唐木達雄著「上伊那へ来た農耕勤務隊(4)-戦争末期の朝鮮半島出身の『日本兵』-」
『伊那路』66(7)(通786)2022.7 p.21-29
・原英章・唐木達雄著「上伊那へ来た農耕勤務隊(5)-戦争末期の朝鮮半島出身の『日本兵』-」
『伊那路』66(8)(通787)2022.8 p.23-32
に、まとめられている。
- 回答プロセス
-
1 『長野県史 通史編 第9巻近代3』で、昭和18年(1943年)前後の農業政策等を調べていくが、記載は確認できない。
2 所蔵資料をキーワード「朝鮮農業報国隊」や、「朝鮮」と「農業」で、検索する。郷土史研究雑誌である『伊那路』に「上伊那へ来た農耕勤務隊」が5回にわたって連載されていた。書籍では、『興亜農業報国隊感想録』がヒットしたが、満州での報国隊の活動の乾燥集だった。
3 郷土分類N610(長野県の農業)の書棚で農業政策の歴史の資料を探す。朝鮮農業報国隊については、確認できなかった。
4 当館契約の「信濃毎日新聞データベース」を「朝鮮」と「農業」で、検索する。
<調査資料>
・『興亜農業報国隊感想録』長野県経済部 1939【N612/81】
・『長野県農地改革史 前史』長野県農地改革史編纂委員会編 長野県 1958【N611/80/1】
・『長野県農地改革史 後史』長野県農地改革史編纂委員会編 長野県 1960【N611/80/2】
・『農村経済更生の基本問題』長野県内務部 1934【N611/148】
・『信州農業の概観』長野県農会 1936【N612/4】
・久保田誼著「太平洋戦争下朝鮮人労働力の導入」『伊那路』39(8) p.8-12
・箕輪工業高等学校地域社会研究ゼミ著「農耕隊と朝鮮人強制労働」『伊那路』29(4) p.4-5
- 事前調査事項
- NDC
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- 農業史.事情 (612 10版)
- 中部地方 (215 10版)
- 参考資料
- キーワード
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- 朝鮮農業報国隊
- 強制労働
- 朝鮮人
- 農耕勤務隊
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000342483