レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2023年07月28日
- 登録日時
- 2023/08/21 11:22
- 更新日時
- 2023/08/31 19:35
- 管理番号
- いわき総合-地域723
- 質問
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安藤信正は53歳で病死したそうだが、その死因となった病名を知りたい。
- 回答
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*安藤信正(1819-1871)は、江戸時代後期の老中。陸奥国磐城(いわき)平(たいら)藩主(五万石)。万延元年(1860)に42歳で老中となり、井伊直弼の桜田門外の変の後に公武合体運動や外交政策を進めたが、文久2年(1862)、44歳の時に坂下門外の変で負傷し、失脚した。
参照 【資料1】『国史大辞典 1』 p391-392
【資料2】『三百藩藩主人名事典 1』 p62
安藤信正公に関する資料を調べたが、死因となった病名はわからなかった。
なお、下記資料より、安藤信正公は、明治4年(1871)10月8日の午刻(12時頃)に 53歳で亡くなったことを確認。
【資料3】『閣老安藤対馬守』 p603
【資料4】『安藤対馬守信睦公』 p111
また、
【資料5】『安藤家の伝承ごと』 p99により、病に伏していたことを確認。
*関連資料
【資料6】いわき総合図書館 いわき資料パスファインダー №.20「安藤氏」に関する資料の探し方
【資料7】いわき総合図書館 令和元年度読書週間企画展 「生誕二百年記念 安藤信正とその時代」
*上記の資料によれば、安藤信正は坂下門外の変、44歳で老中を罷免され、隠居の後に永蟄居となり、二万石を減封されたが、慶應2年(1866)48歳で蟄居は赦された。明治元年(1868)、50歳の時の戊辰戦争では奥羽列藩同盟に加わって政府軍に抗し、再び永蟄居を命じられたが、翌年蟄居が解かれた。その2年後の明治4年に53歳で亡くなった。
- 回答プロセス
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安藤信正公は平藩主であったので、『いわき市史』の近世を扱った第二巻と第九巻や『安藤侯史料集』巻一~五、『藩史大辞典』等を調べたが、藩主を隠居し、明治時代に亡くなっているので、死亡時の記録は見当たらなかった。
そのため、当館のいわき資料パスファインダー №.20「『安藤氏』に関する資料の探し方」と企画展「生誕二百年記念 安藤信正とその時代」の参考資料を基に210.5(近世)と281、281-289(伝記)の棚をブラウジングし、関連する本を調査した。その中から、父親が旧平藩家臣である大学教授が様々な史料を調べて書いた【資料3】と旧平藩家臣が編集した史料集である【資料4】と安藤家の先代当主が書いた【資料5】を参考資料とした。
- 事前調査事項
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質問者の病死の根拠は不明。
- NDC
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- 日本史 (210)
- 日本 (281)
- 個人伝記 (289)
- 参考資料
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- 『国史大辞典 1』 国史大辞典編集委員会 編 吉川弘文館 1979 (R-210.0-コ-1)
- 『三百藩藩主人名事典 1』 藩主人名事典編纂委員会 編 新人物往来社 1986 (K-281-サ-1)
- 『閣老安藤対馬守』 藤沢衛彦 著 白竜会竜が城美術館 1992 (K-289-アン)
- 『安藤対馬守信睦公』 いわき歴史文化研究会 編著 磐城平藩主安藤家入部二五〇年記念事業実行委員会 2006 ([K-210.5-1-イ])
- 『安藤家の伝承ごと』 安藤綾信 著 東洋出版 2005 (K-791-ア)
- いわき総合図書館 いわき資料パスファインダー №.20 「安藤氏」に関する資料の探し方 (https://library.city.iwaki.fukushima.jp/manage/contents/upload/5dd60e318efcc.pdf)
- いわき総合図書館 令和元年度読書週間企画展 「生誕二百年記念 安藤信正とその時代」 (https://library.city.iwaki.fukushima.jp/viewer/archive.html?idSubTop=2&id=4635&g=848)
- キーワード
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- 安藤信正
- 磐城平藩主
- 坂下門外の変
- 戊辰戦争
- 奥羽列藩同盟
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土 人物
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000337456