レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2023/11/11
- 登録日時
- 2024/01/20 00:30
- 更新日時
- 2024/01/20 00:30
- 提供館
- 宮城県図書館 (2110032)
- 管理番号
- MYG-REF-230182
- 質問
-
解決
明治期の富谷村(現在の富谷市)の人口が知りたい。特に明治5年頃の人口が分かる資料はないか。
- 回答
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下記の資料に明治期の富谷村の人口について記載がありました。いずれの引用も旧字体は新字体で表記します。
なお、明治5年の統計は見当たりませんでした。 ※【 】内は当館請求記号です。
資料1 富谷町誌編さん委員会編『富谷町誌』富谷町, 1993年【K227.3/ト1-2】
p.168 「第2節 人口と戸数」-「二 昭和中・後期の動き」-「表3-1 世帯数・人口の推移(資料 : 国勢調査)」の項
「明22(年) 世帯数 512 人口 総数 3,785 男1,885 女 1,900」と記載があります。
資料2 富谷町誌編纂委員会編『富谷町誌』富谷町, 1965年【K227.3/ト1】
p.45 「富谷村の世帯数及び人口調」の項
「明治二二年 世帯数 四六一戸 総数 三,七八五人 男 一,八八五人 女 一,九〇〇人」と記載があります。
資料3 黒川郡教育会編『宮城県黒川郡誌』黒川郡教育会, 1924年【K227/ク1】
pp.25-32 「戸数人口」の項
黒川郡の町村別戸数の表の中に、現在の富谷市に該当する各村の項目がありました。明治初年における戸数は以下のとおりです。
p.29「明治初年 一ノ関:一六、二ノ関:二九、三ノ関:一八、志戸田:二九、富谷:一六七、穀田:二七、西成田:三三、石積:三一、大亀:二〇、明石:二五、今泉:三四、大童:一五、右富谷村計:四四四」
資料4 『宮城県統計書』明治31年度, 宮城県, 1900年
当該資料は国立国会図書館デジタルコレクションでインターネット公開されています。
URL https://dl.ndl.go.jp/pid/806310/1/22 (最終アクセス日 : 2023/11/23)
p.31 「人口及戸数 町村の戸口」-「黒川郡富谷村」の項
「現住戸数 五四一
人口 現住 男 二,二〇一 女 二,〇九一 計 四,二九二
本籍 男 二,二三六 女 二,一二〇 計 四,三五六」
と記載があります。
※該当コマは22コマ目です。
資料5 宮城縣編『陸前國黒川郡地誌』3卷附圖, 原本, 3册(附圖53鋪), 29.3cm, (『宮城県図書和古書目録』2273)【KM292/リ3】
当館所蔵の古書であり、宮城県指定文化財です。閲覧・複写はマイクロフィルムからとなります。冊子体の地誌と郡内の各村を描いた附図で構成されています。当該古書の編集時期は明治初期と推定されています。
現在の富谷市に該当する各村についての戸数・人口の総計は下記のとおり記載されていました。
・陸前国黒川郡一ノ関村
戸数 総計 十八戸
人数 男 六十九口平民 女 七十七口平民 総計 百四十六口
・陸前国黒川郡二ノ関村
戸数 総計 三十一戸
人数 男 百十口平民 女 八十二口平民 総計 百九十二口
・陸前国黒川郡志戸田村
戸数 総計 三十戸
人数 男 百十六口平民 女 百五口平民 総計 二百二十一口
・陸前国黒川郡三ノ関村
戸数 総計 二十戸
人数 男 七十六口平民 女 七十一口平民 総計 百四十七口
・陸前国黒川郡富谷村
戸数総計 百七拾五戸
人数男六百三口 士族六口 平民 五百九十七口 女五百五十三口 士族十一口 平民五百四十二口 総計千百五十六口
・陸前国黒川郡穀田村
戸数 総計 二十八戸
人数 男 百二十二口 士族十七口 平民百五口 女 百十二口 士族十八口 平民九十四口 総計 二百三十四口
・ 陸前国黒川郡明石村
戸数 総計 二十八戸
人数 男 百二十七口 士族五口 平民 百二十二口 女 百一口 士族五口 平民九十六口 総計二百二十八口
・ 陸前国黒川郡西成田村
戸数 総計 三十六戸
人数 男百五十二口 士族 十二口 平民百四十口 女百二十三口士族十四口 平民百九口 総計二百七十五口
・ 陸前国黒川郡大童村
戸数 総計 十七戸
人数 男七十六口 士族 九口 平民 六十七口 女五十七口 士族五口 平民五十二口 総計百三十三口
・ 陸前国黒川郡今泉村
戸数 総計 三十七戸
人数 男百四十七口 士族十一口 平民百三十六口 女 百三十七口 士族 十四口 平民百二十三口 総計二百八十四口
・陸前国黒川郡石積村
戸数 総計 三十三戸
人数 男百三十一口 士族 九口 平民 百二十二口 女百三十八口 士族十四口 平民百二十四口 総計二百六十九口
・陸前国黒川郡大亀村
戸数 総計 二十一戸
人数 男八十七口 士族 六口 平民 八十一口 女七十三口 士族七口 平民六十六口 総計百六十口
- 回答プロセス
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資料1-5を御案内しました。
また、下記の資料もお調べしましたが関連する記載は見当たりませんでした。
資料6 宮城県史編纂委員会編『宮城県史』33, 宮城県史刊行会, 1975年【K201/ミ1/エ33】
資料7 宮城県史編纂委員会編『宮城県史』3, 宮城県史刊行会, 1964年【K201/ミ1/カ3X】
資料8 宮城県史編纂委員会編『宮城県史』5, 宮城県史刊行会, 1960年【K201/ミ1/オ5】
資料9 内ケ崎卓郎編『黒川郡誌』内ケ崎卓郎, 1959年【K227/ウ1】
資料10 富谷町議会百年史編さん特別委員会編『富谷町議会百年のあゆみ』富谷町議会, 1990年【K318.27/ト2】
資料11 宮城県議会史編さん委員会編『宮城県議会史』第1巻, 宮城県議会史編さん委員会, 1968年【K318/ミ15/1】
資料12 宮城県総務部地方課編『宮城県町村合併誌』宮城県総務部地方課, 1958年【K318/ミ3】
資料13 宮城県編『宮城県県治要覧』宮城県, 1908年【K318/ミ4-4】
資料14 「角川日本地名大辞典」編纂委員会編『角川日本地名大辞典』4, 角川書店, 1979年【K290.3/ニ2】
資料15 平凡社地方資料センター編『宮城県の地名』(日本歴史地名大系 ; 4), 平凡社, 1987年【K290.3/ミ43】
- 事前調査事項
- NDC
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- 人口統計.国勢調査 (358 9版)
- 参考資料
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- 富谷町誌編さん委員会/編. 富谷町誌. 富谷町, 1993.3【K227.3/ト1-2】:
- 富谷町誌編纂委員会/編. 富谷町誌. 富谷町, 1965【K227.3/ト1】:
- 黒川郡教育会/編. 宮城県黒川郡誌. 黒川郡教育会, 1924【K227/ク1】:
- 宮城県史編纂委員会/編. 宮城県史 33. 宮城県史刊行会, 1975【K201/ミ1/33】:
- 宮城県史編纂委員会/編. 宮城県史 3. 宮城県史刊行会, 1964【K201/ミ1/3X】:
- 宮城県史編纂委員会/編. 宮城県史 5. 宮城県史刊行会, 1960【K201/ミ1/5】:
- 内ケ崎 卓郎/編. 黒川郡誌. 内ケ崎卓郎, 1959【K227/ウ1】:
- 富谷町議会百年史編さん特別委員会/編. 富谷町議会百年のあゆみ. 富谷町議会, 1990【K318.27/ト2】:
- 宮城県議会史編さん委員会/編. 宮城県議会史 第1巻. 宮城県議会史編さん委員会, 1968【K318/ミ15/1】:
- 宮城県総務部地方課/編. 宮城県町村合併誌. 宮城県総務部地方課, 1958【K318/ミ3】:
- 「角川日本地名大辞典」編纂委員会/編. 角川日本地名大辞典 4 . 角川書店, 1979【K290.3/ニ2】:
- 平凡社地方資料センター/編. 宮城県の地名. 平凡社, 1987【K290.3/ミ43】:
- キーワード
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- 富谷市(宮城県) -- 人口
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000344960