レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2023年05月19日
- 登録日時
- 2024/02/07 11:14
- 更新日時
- 2024/03/05 16:22
- 管理番号
- 広県図2023031
- 質問
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解決
広島藩第2代藩主浅野光晟(あさの みつあきら)の正室満姫(まんひめ)について知りたい。
日蓮宗不受不施派に対する幕府の弾圧に、満姫がどのように対応したのかが分かる資料はあるか。
- 回答
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『新修広島市史 第1巻 総説編』広島市役所/編修、1961【H21.1/H73/1ア】
p.323 綱長の文治主義
「(略)幕府の寺社統制にならつて元禄五年日蓮宗不受不施派の国前寺を光晟夫人前田氏の菩提寺とすることを廃してその寺領を召し上げた。」
『新修広島市史 第2巻 政治史編』広島市役所/編修、1958【H21.1/H73/2ア】
p.168-174 綱晟・綱長時代
p.169-171 「幕府の宗教統制」や「広島藩の寺社統制」、「国前寺と不受不施派の禁止」等、関連する記載があります。
『新修広島市史 第4巻 文化風俗史編』広島市役所/編修、1958【H21.1/H73/4ア】
p.156-157 日通寺
『新修広島市史 第6巻 資料編 その1』広島市役所/編修、1959【H21.1/H73/6ア】
p.686-734 知新集 巻ノ十五
p.686-724 「(前欠)(附箋朱筆)「日通寺」」
p.735-761 知新集 十六
p.735-745 國前寺
『黒瀬町史 資料編』黒瀬町史編さん委員会/編集、2004【H21.71/クロセ103/2ア】
p.211 知新集 巻ノ十五
「(略)国前寺御菩提寺なりけれは(略)不受不施争論の事起り、(略)自昌院殿(略)の御法名と天心院殿(略)の御諡のふたつをとりて英心山日通寺と御改あり、(略)」
『追遠会だより 創刊号より創立百周年記念号(第十七号)まで』[旧広島藩追遠会/編]、[1997]【H05/キユウ97】
第13号
p.(1)-(2) 国前寺と自昌院
p.(1) 「(略)藩では、寺領二百石を下付し菩提寺に指定した。同寺が後に自昌院自身によってその指定を取り消される経緯について述べたい。その理由は同寺が日蓮宗の不受不施派に属していた為であった。」
第14号
p.(1)-(2) 日通寺と自昌院
p.(2) 「日通寺の建立は自昌院晩年最後の大事業であった。」
『新山風土記 浅野家神田山墓所302年 自昌院殿英心日妙275年』中尾壮一/著、1975【H291.1/N41】
p.26-30 国前寺異変と日通寺
p.26-27 「(略)日蓮宗の不受不施派に対する幕府の禁圧である。(略)菩提所国前寺も不受不施派に属していたため、(略)」
『続「新山風土記」』中尾壮一/著、1977【H291.1/N41/2】
p.9-14 国前寺と不受不施禁圧 その一
p.14-17 国前寺と不受不施禁圧 その二
『菩提寺の庭 手作り郷土史 自昌院(満姫)と、其の因縁の人々』渡辺健/著、1997【H282/ワタタ97a】
p.116-123 〔日蓮宗自昌山国前寺〕
p.122 「(略)幕府より布教停止の弾圧を受け、此の政策には自昌院とて抗する事能はず、(略)」
p.140-146 【法華宗日通寺】
p.140 「(略)国前寺の代替え寺院として(略)天台宗寺院を移転建立し、(略)日蓮宗寺院に改めようと努力した。」
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 日本史 (210 10版)
- 参考資料
- キーワード
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- 満姫
- 自昌院
- 日蓮宗
- 不受不施派
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000346072