レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2021年05月20日
- 登録日時
- 2021/06/01 10:38
- 更新日時
- 2021/06/23 11:53
- 管理番号
- 2021-6
- 質問
-
解決
1 高浜港はどのあたりに、いつごろできたか。
2 高浜港時代はどんな航路があったか。
3 高浜港から松山観光港へ移った理由。
4 松山観光港から最寄駅まで距離がある理由。
5 高浜港と松山観光港の大きな違いは何か。
6 なぜ「松山港」ではなく「松山観光港」なのか。
7 松山観光港の特徴
8 松山観光港発着の航路の数
9 しまなみ海道開通後、利用者に変化はあったか。
10 フェリー利用者増加のための取組・海運の位置づけ
11 高浜港の写真
12 松山観光港の写真
- 回答
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1 明治から戦後にかけての松山港整備の流れは、【資料1】のp339~361に詳しく載っている。これによると、高浜は明治5年ごろから三津浜に代わる良港として注目され始め、戦争や三津浜からの反発を乗り越え、明治39年9月11日に開港式を行った。p350・351には松山港の地図が載っており、高浜港も図示されている。
【資料2】・【資料3】にも同様の流れが載っている。
2 【資料1】のp330~334に、明治から戦後にかけての松山港の主な航路について記載がある。また、p333には昭和37年当時の高浜港の航路の一覧が載っている。
3 【資料1】のp361には、「現在の高浜埠頭は、建設以来五〇年を経た老築小規模なものであり、冬季波浪をうけて接岸困難な場合も多い。そこで現施設の北七〇〇メートルの地点に、三〇〇〇トン級客船を対象とする浮桟橋二基を新設するとともに、水深三・五メートルの物揚場九〇メートルと、埠頭の静穏をはかるための防波堤四〇メートルの構築を考えている」とある。
また、【資料3】のp193には、「高浜地区では従来の高浜港の施設が老朽化し、海上交通機関の大型化・高速化に対応しきれなくなったため、旧高浜港の北五〇〇mの地に新高浜港(通称観光港)が築造された」とある。
4 最寄り駅である高浜駅が開通するまでの流れは、【資料2】のp34-35に詳しく載っている。これによると、明治25年に終点を高浜まで延長し、明治38年に高浜駅開港に合わせてより海に近い現在の場所へ新築移転した。【資料1】・【資料3】にも同様の説明が載っている。
松山観光港まで路線を伸ばしていない理由については、言及している資料を見つけられなかった。【資料4】のp277には、松山観光港を建設する際、伊予鉄高浜駅と直結しておらず不便だったことから、伊予鉄高浜駅-観光港間はバスでピストン運転し、観光港から市内への直通バスを20分間隔で一日17往復させることを決定したというエピソードが載っている。
5 2港を比較検討している資料は見つけることができなかった。
※高浜港と松山観光港の違いについては、【資料3】p183に、「観光港には松山と阪神・中国並びに九州を結ぶフェリー、水中翼船、高速艇が就航し活気を呈しているが、旧港は興居島航路・中島航路の基地港に変化した」とある。2港を比較検討している資料は見つけることができなかった。
6 名前の由来について説明している資料は見つけられなかった。
ただ、【資料1】のp354に「一二年六月一日三津浜町に新浜村が合併され、以後三津浜港と高浜港は、同一行政区域内におくこととなり、翌一三年一月の内務省告示により、高浜港は美海浜港に統一改称された」とある。また、p356には「一五年八月一日三津浜町は、隣接御荘など六カ村とともに、松山市に合併したので、以後三津浜港は松山港と改称され」とあります。
おそらく、すでに「松山港」という名前が使われていたため、同じ名前をつけるのを避けたのではないかと思われる。
7 【資料2】のp39に「工業港は帝人・大阪ソーダ・丸善石油の立地する大可賀地先に、客船・フェリーの内海航路の主体は松山観光港に、三津浜の内港は漁船・小型貨物船、防予・宇品(広島)・中島航路の中距離のフェリーの出入港・台風の避難港にと港湾の機能分化が進展していった」とある。
また【資料3】のp193には、「四二年三月二一日から新高浜港の使用が始まり、四五年六月には同港にフェリー基地も完成し、松山港の中では旅客船の基地港となっている」とある。
8 【資料7】及び【資料8】を確認したが、どちらも「松山港」として集計されており、「松山観光港」だけの航路数は分からない。
9 松山観光港の状況について言及している資料は見つけることができなかった。
四国の海上輸送全体への考察としては、【資料8】のp7に以下のとおりある。
海上輸送については、昭和48年をピークとしてオイルショック後横這いで推移していたが、昭和63年の瀬戸大橋、平成10年の明石海峡大橋、平成11年のしまなみ海道の開通による本四3架橋の完成及び本四高速料金の割引制度等の導入により、輸送人員は減少傾向にあるが、令和元年度の管内事業写による輸送人員は999万人(対前年度比5.0%増)であり、定期航路は947万人(同4.8%増)と増加している。
10 県の立場や取組みが載っている資料は、見つけることができなかった。
11
【資料1】p332
【資料3】p185 高浜港の開港式(明治39年9月11日撮影)
【資料6】p6
12
【資料3】p204 総合案内所の様子(昭和58年)
【資料5】p14・15 1967年当時の様子
松山観光港ターミナル(平成22年受入のパンフレット)
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
- 参考資料
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- 【資料1】『松山市誌』 松山市誌編集委員会/編集 1962 <当館請求記号:K293.1-23>
- 【資料2】『松山市三津浜港の盛衰と高浜開港 下』 窪田 重治/著 1992.12 <当館請求記号:K683.92-クシ2-1992>
- 【資料3】『愛媛県史 地誌2(中予)』 愛媛県史編さん委員会 1984 <当館請求記号:K200-31>
- 【資料4】『松山市史 第4巻 現代』 松山市役所 1995 <当館請求記号:K231-49-4>
- 【資料5】『松山港』 松山市 1967 <当館請求記号:K683-9>
- 【資料6】『松山港大観 昭和28年』 松山市役所 1953.6 <当館請求記号:K683-1>
- 【資料7】『松山市統計書 [電子資料] 平成30年度版』 松山市文書法制課 2020.1 <当館請求記号:K353-マツ20>
- 【資料8】『四国運輸局業務要覧 令和2年版』 国土交通省四国運輸局 2021 <当館請求記号:K680-4-20>
- キーワード
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- 高浜港
- 松山観光港
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査 書誌的事項調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000299590