レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2019年12月13日
- 登録日時
- 2020/03/25 16:11
- 更新日時
- 2021/11/15 15:01
- 管理番号
- 2019-034
- 質問
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解決
監獄の女性職員の登用について。
明治期の監獄の女性職員は,「女監取締部長(のち看守部長)」の職まで昇任可能だったと思うが,それ以上の官職への任用は,いつから始まったのか知りたい。
おそらく戦時中か戦後ではないかと思うが,もし女性初の看守長や刑務所長などの記事があれば教えてほしい。
- 回答
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「女監取締部長(のち看守部長)」以上の職への任用がいつから始まったかは,はっきりとはわからなかった。
昭和44年の『刑政』に掲載された「矯正史落穂ひろい(15)女監取締」には,明治期の女性職員について書かれている。
「明治39年10月には、戒護及び庶務上の事務を補助するために女監取締から女監取締部長が選ばれ、看守長に匹敵する待遇を受けることになった(司法省訓令監甲第634号)。ただし、この部長もあくまで傭人でしかなかった。」とあり,これ以降の記述はない。
(なお,回答後に質問者からの指摘で,上記訓令の「第634号」は『刑政』記事のものが誤りで,正しくは「第645号」であることが判明)
女性初の刑務所長は,昭和21(1946)年に和歌山刑務所長に就任した三田庸子であった。
第二次世界大戦後,GHQから矯正にも民主化を図るためと女子刑務所に女性所長を誕生させる強い意向があり,初の女性所長が決まったという。
三田庸子が和歌山刑務所長になったいきさつについては,『刑政』105巻10号「昭和矯正史上の人々(9)三田庸子」(久我澪子)や『矯正講座』35号「矯正を開いた女性―「女囚とともに」三田庸子氏について―」(菱田律子)に書かれています。
また,三田庸子は著書も出しており,『女囚とともに』という本の最初に「女刑務所長誕生記」として,その当時のことを書いている。
女性職員の登用についてはあまり資料がなく,以上のことぐらいしかわからなかった。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 刑法.刑事法 (326)
- 日本史 (210)
- 参考資料
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- 矯正史落穂ひろい(15)女監取締. 1969. 刑政 80巻6号, ISSN 0287-4628
- 久我澪子. 昭和矯正史上の人々(9)三田庸子. 1994. 刑政 105巻10号, ISSN 0287-4628
- 菱田律子. 矯正を開いた女性:「女囚とともに」三田庸子氏について. 2015. 矯正講座 35号
- 三田庸子. 女囚とともに. 朝日新聞社, 1955.
- キーワード
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- 女性刑務官
- 三田庸子
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 人物
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000276676