レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2023年09月26日
- 登録日時
- 2023/12/03 15:31
- 更新日時
- 2024/01/09 22:19
- 管理番号
- 県立長野-23-132
- 質問
-
未解決
小県郡(ちいさがたぐん)「大口」地籍は今のどこか。源義清-清光-遠光-長清-長隆-清隆と続く系図の清隆が「信州小県郡大口ニ住ス (-中略-)北条時宗ヨリ正応二年大口ノ地ヲ賜リ住ス」とある。この大口を知りたい。
- 回答
-
長野県図書館等協働機構が運営する「信州地域史料アーカイブ」で字地[最終確認2024.1.2]について「大口」で検索すると、東信地域については、佐久市(旧・下平尾村)に大口という字があることがわかる。ここは北佐久郡にあたり、小県郡ではない。『佐久地方の地名と語源』市川武治著 郷土出版 1988【N230/13】p.90に下平尾の大口(オオクチ)があり、「狼や山犬を除ける大口神社のあった所」とある。
また、北信地域では、須坂市(旧・八重森村)、千曲市(旧・羽尾村)にも、大口の字地があった。
『角川日本地名大辞典20 長野県』角川書店 1990【N293/18】、『長野県の地名』平凡社 1979【N290.3/54】で、「おおくち」「おおぐち」「だいこう」などで調べたが、記載は確認できなかった。
東御市和(とうみし かのう)の『和村誌 現代編』和村誌編集委員会編 和村誌刊行委員会1963
【N221/9/2】p.121に、江戸時代の金原川の水利に関する記述があり、
金原晩翠の堰止め箇所は、日影、大口、縁の下、地蔵堂(中の口)、東上田口(下の口)、中原、が
き山の七カ所で、大川と曾根の分水は薬師堂である。
とあるが、『和村誌 歴史編』和村誌編集委員会編 和村誌刊行委員会1963【N221/9/1】p.112-117の「土地の小字名」には、「大口」は確認できず、上記の大口が地籍である確証は得られなかった。
『長野県姓氏歴史人物大辞典』角川書店 1996 【N288/158】、『長野県姓氏歴史人物大事典』 神津良子編 郷土出版社 1989 【N283/13】を調べたが、「大口」氏の記載はなかった。
『新編 姓氏家系大辞典 上』太田亮著 秋田書店 1979 【288/93/1】p.245の「大口氏」には
[出自未詳]本籍は明かでない。補 オオグチに通音。伊勢、陸前、羽後、能登、越後、薩摩等の地名
を負う。(-中略-)(二)滋野姓大口氏は、信濃國小県郡発祥。(-後略-)
とあった。
系図に記されている名前から、小笠原氏の流れを汲むものと判断し、『新訂増補 国史大系 尊卑分脈 索引1』黒板勝美編 吉川弘文館 2001【210.08/クカ/ベツ2】で、「長隆」「清隆」と続く家系を調べると、『新訂増補 国史大系60上 尊卑分脈第3篇』黒板勝美編 吉川弘文館 【210.08/クカ/60-1】p.333-347にかけて、小笠原長清の子は、長経(小笠原太郎 弾正少弼侍従 長清子)、清行(弥二郎)、長光(八代四郎 八代四郎信清跡相続知行)、清家(小田五郎)、時長(伴野六郎)、朝光(大井太郎 信濃国大井知行)、教意(八郎禅師)、為長(九郎)、円長(横根法眼)、長朝(芝曾)、行長(大井十郎 号藤崎)、清時(鳴海余一)、清家(大倉与二)、長隆(大倉与一)、清経、長文(八代四郎)、行正、行信(大倉又二郎)、行意(阿闍梨)が記載されている。
長隆の子どもに清隆(大倉四郎)、隆家(大倉五郎)があり、清隆の子隆綱(大倉弥四郎)以降の系図はなく、詳細は不明。清隆の弟隆家の子も3名書かれており、行隆(大倉六郎)、朝隆(大倉孫七)、浄教(僧)となっている。他所への移封などの記載は確認できない。また、大口という記述も確認できない。
『角川日本地名大辞典20 長野県』(再掲)p.238-239に「大倉<豊野町>」の項があり、
鳥居川河口に近い台地上と北部の山間に位置する。地内に小笠原長清ゆかりの山城と伝える大倉城
跡があり、大倉氏発祥の地ともいう(姓氏家系大辞典)。
とある。豊野町は現・長野市で、北信地域になる。
また、『長野県の地名』(再掲)p.967-969に、「大倉村」「大倉郷」「大倉城跡」の項目がある。史料を基に記載されている事項は、問い合わせの年代より後のことになる。ただ、「大倉城跡」に
伝承では、小笠原長清の築城といい、その一子長澄が大倉の地に根拠したというが(豊野町誌)、だ
れによって築かれたかは明らかでない。
という記述があった。
『豊野町の歴史』 豊野町誌刊行委員会編・刊 2000 【N212/18a/2】p.144に、「大倉城と大倉氏」という囲み記事があり
伝承によると、大倉城の築城は建久年間(一一九〇-九八)にさかのぼるといわれている。『大倉
村誌』は、大倉城跡について、「里俗の伝に小笠原長清之を築く、九男長隆與一郎之に居る。故に大
倉を氏とし、相襲すといふ…」と記している。大倉與一郎長隆(十二男與市長澄ともいふ)の名は
『尊卑分脈』および『小笠原系図』にも見え、弓上手であったという。『姓氏家系大辞典』では大倉
氏を信濃国水内郡大倉出身ときしている。長隆の後裔はその後越後へ移ったといわれ、(-後略-)
と、記されている。
また、『岡野町大倉家』大倉忠政著・刊 1991【N288/139】にも、推論が書かれている。
『新編 姓氏家系大辞典 上』(前掲)p.249「大蔵氏」に、
信濃【清和源氏、小笠原氏族】 水内郡大倉より出たものか。尊卑分脈に「小笠原長清-長隆(大倉
與一)-清隆―隆綱」、また長隆の兄弟清澄(大蔵與二)、また行信(大倉又二郎)等も見え、小笠原
系図にも「長清-長隆(號大倉余市)」と見える。
とあり、続く「大倉氏(信濃)」は前条である信濃の「大蔵氏」と同じとあった。
『国史大辞典 第12巻』国史大辞典編集委員会編 吉川弘文館 1991【210.03/コク/12】、『吾妻鏡事典』 佐藤和彦・谷口榮編 東京堂出版2007【210.42/サカ】p.157-158の「北条時宗」を見ると生没年は、1251年-1284年となっており、問い合わせの「北条時宗ヨリ正応二年大口ノ地ヲ賜リ住ス」の正応二年は1289年で、時宗の死後となる。
『小県郡史』小県郡役所編・刊 1922 【N221/2】p.322の「第3章 氏族の蕃行」に岩下衆があり、その中に「大口左馬助■■」とあった。左馬助の後の■■の部分は、文字が判読できない部分をあらわしている。そのため、この人物が小笠原氏の流れの人物かどうかは判断できない。生島足島神社への起請文にある名前と思われる。
岩下衆の岩下氏は、『長野県姓氏歴史人物大辞典』角川書店 1996 【N288/158】p.683に、
中世、小県郡海野(東部町)に拠った海野氏から分かれた同郡岩下(上田市)を名字地とする岩下氏
がある(姓氏家系大辞典)。信州滋野氏三家系図に「海野幸房-幸久(岩下豊後守)」と見える。
とあった。ただ、小笠原氏と海野氏(滋野氏)との関係は確認できなかった。小笠原長清の七男朝光が大井氏として、六男時長が伴野氏として、佐久一帯に基盤があった。滋野系列の海野氏、祢津氏、望月氏の小県と隣接する地域でもある。
- 回答プロセス
-
1 『角川日本地名大辞典20 長野県』『長野県の地名』で「おおくち」「おおぐち」「だいこう」を調べる。該当するものは確認できない。
2 信州地域史料アーカイブで字地について「大口」で検索する。佐久市に大口という字があるが、小県郡ではない。[最終確認2024.1.2]
3 武士は地名を名乗ることが多いため、問い合わせの際に聞いた系図を確認する。小笠原氏のものと思われたので、『新訂増補 国史大系60上 尊卑分脈第3篇』を見ると、清家(大倉与二)-長隆(大倉与一)-清隆(大倉四郎)、隆家(大倉五郎)とあった。
4 『新編 姓氏家系大辞典 上』の「大口氏」には
[出自未詳]本籍は明かでない。補 オオグチに通音。伊勢、陸前、羽後、能登、越後、薩摩等の地名
を負う。(-中略-)(二)滋野姓大口氏は、信濃國小県郡発祥。(-後略-)
とあった。
5 『新編 姓氏家系大辞典 上』で「大倉氏」を確認する。水内郡大倉とある。『角川日本地名大辞典20 長野県』『長野県の地名』で確認する。
6 『豊野町の歴史』を見る。「大倉城と大倉氏」という囲み記事を見つける。当館蔵書を「大倉」で検索する。『岡野町大倉家』を確認する。
7 『国史大辞典 第12巻』『吾妻鏡事典』で北条時宗の生没年を調べる。また、大口氏への文書を探すが、確認できなかった。
8 『小県郡史』で、当該年代の記述を調べる。岩下衆があり、その中に「大口左馬助■■」とあった。この人物が小笠原氏の流れの人物かどうかは判断できない。
9 中世の長野県内の武士、および小笠原氏について書かれた資料を探す。
10 小県地域の市町村史誌の中世の項目を調べる。
11 佐久市の地名を調べる。『佐久地方の地名と語源』に「大口」があった。
<調査資料>
・『角川日本地名大辞典20 長野県』角川書店 1990 【N293/18】
・『佐久市志 歴史編2』 佐久市志編纂委員会編 佐久市1993【N223/69/3-2】
・『新編信濃史料叢書 第12巻』 信濃史料刊行会編・刊 1975【N208/43/12】
小笠原氏の系図である「笠系大成」を所収。
・『吾妻鏡総索引 上』 及川大渓著 東洋書林 1999【210.42/オタ/1】
・『吾妻鏡総索引 下』 及川大渓著 東洋書林 1999【210.42/オタ/2】
・『新訂増補 国史大系 32 吾妻鏡』黒板勝美編 吉川弘文館 2000 【210.08/クカ/32】
・『新訂増補 国史大系 33 吾妻鏡』黒板勝美編 吉川弘文館 2000 【210.08/クカ/33】
・『信濃中世武家伝』 田中豊茂著 信濃毎日新聞社 2016【N288/335】
小笠原長清から分かれた大井氏、伴野氏についての記述が詳しい。同様に滋野氏の流れである真田
氏、海野氏、望月氏の記述もあるが、大倉氏、大口氏の記載はない。
・『信濃武士』宮下玄覇緒 宮尾美出版 2012 【N209.4/134】
・『信濃中世史考』 小林敬一郎著 吉川弘文館 1982【N209.4/56】
・『信濃中世史考』 湯本軍一著・刊 2011【N209.4/136】
・『中世信濃武士意外伝』長野県立歴史館編 郷土出版社 2005 【N209.4/101】
・『信濃小笠原氏』花岡康隆編著 戎光祥出版 2016 【288.3/ハヤ】
・『小笠原氏の虚像と実像』中嶋次太郎著 銀河書房 1980 【N288/95】
・『信濃 古代中世史の究明 2』 桜井松夫著・刊 2015【N220/22/2】
・『平尾守芳とその一族』楜澤龍吉著 櫟 1987 【N288/131】
・『大倉城趾-大倉城跡(東麓)発掘調査報告書-』豊野町教育委員会編・刊 1995 【N202.1/91】
・『上水内郡誌』上水内郡役所編 名著出版 1973 【N212/505】
・「長野県市町村誌目次情報データベース」
・『長野県町村誌』と明治初期の村絵図[最終確認2024.1.2]
- 事前調査事項
- NDC
-
- 中部地方 (215 10版)
- 系譜.家史.皇室 (288 10版)
- 参考資料
- キーワード
-
- 大口氏
- 小笠原系図
- 地名--長野県
- 大倉氏
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土 地名
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000342966