レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2021年12月02日
- 登録日時
- 2022/09/13 10:16
- 更新日時
- 2022/09/28 09:11
- 管理番号
- 中央-1-0021565
- 質問
-
解決
明治時代の山伏はどんな行動や生活をしていたのか?どうやって生計を立てていたのか、家族はいたのかなどが知りたい。
- 回答
-
調査の過程で、明治5年に修験道廃止令が出され、修験者(山伏)が公には存在しなくなったことを確認した。明治時代がこのような状況下であったため、詳しい記述がある資料は見つからなかったが、当時の山伏の生活に関連すると思われる記述がある資料を紹介した。
●図書資料
(1)『山伏まんだら 求菩提山修験遺跡にみる』重松敏美/著 藤田晴一/写真 日本放送出版協会 1986年
p80~81 下記の記述あり。
「明治の改変といったものは、これこそ大変なものであった。座主を始め、山伏たちは還俗して、普通の人の名前に改めなければならなかった。(以下略)
山伏たちは改名にあたって、自ら思い思いの名前をつけた。(中略)そして明治五年の修験道禁止令を受け、一山はますます深刻な立場となった。
したがって、これまでの山伏たちは生活に当惑した。生活の方途として、これまでの檀家に改新した神社の大麻を配布したり、売薬を業とするものなどあった。
一番に生活に困ったのは、労働力をもたない坊の末裔たちで、それと共にこれまでの座主家であった。(中略)当初は座主が神職となったが、それだけの収入では生活は困窮した。」
(2)『修験道という生き方』宮城泰年/著 田中利典/著 内山節/著 新潮社 2019年
p50 下記の記述あり。
「明治五年(一八七二)年には修験道廃止令がだされ、吉野の金峯山寺も廃寺にされている。このとき「失職」した修験者は、もっていた漢方薬の知識を活かして漢方薬屋になっていく者が多かったが、政府は繰り返し薬事法を改正しながら、その活動を取り締まっていた。」
(3)『修験道の地域的展開』宮家準/著 春秋社 2012年
p760~763「第3部 近・現代の霊山と社寺・修験/第二節 修験宗廃止」
明治政府が修験者のように遊行したり、呪術宗教的な活動をしたりする宗教者の統制をはかっていたことについて記述あり。一部抜粋。
p761「明治五年(一八七二)六月二八日には修験者の自葬を禁じ、葬儀を神官、僧侶に依頼することを命じ(以下略)」
p762「明治七年六月二四日、天台・真言両宗中、旧修験三派のうち町並の借家に居住しているものを廃させる(教部省達書二七号。)」
p763「明治八年一〇月二日、復飾した旧修験寺院の建物のうち自費で建造し、居住しているものは低価で本人に払い下げる(内務省達二一二九号)。」
地域別の解説の中で、以下の記述あり。
p893(徳島・高知県)
「明治五年(一八七二)の修験宗廃止令により修験者は天台、真言の仏教教団に所属した。ところが修験者は半僧半俗だったことから民籍(平民)としてあつかわれ、僧侶より身分が低いとされた。」
(4)『修験道史入門』時枝務/編 長谷川賢二/編 林淳/編 岩田書院 2015年
p48~50「第2章 修験道史研究の歩み/六 近世・近代修験道史研究の状況」
近代に関しての記述は少ないが、本文中に研究論文や著作が紹介されている。
(p205~213「必読文献案内二〇選」、p215~235「本文引用参照文献」あり)
●インターネット情報
※最終アクセス確認日:2022年9月13日
(PDF)「修験道復興の内実にみる「変化」の側面 ―明治・大正期を事例として―」
天田 顕徳/著
(公益財団法人国際宗教研究所「宗教情報リサーチセンター(RIRC)」のホームページより)
※RIRC(略称「ラーク」)は、現代宗教に関する幅広い情報の収集、及び分析を行っている専門情報機関。
http://www.rirc.or.jp/xoops/modules/xlinks02/images/pdfs/amada_201611.pdf
PDFファイルの4枚目(p137)に、「2.明治・大正期の行者像 ─林実利、林一心を事例として─」という章あり。
(PDF)「修験道の近代化の問題」金本拓士
(真言宗智山派 総本山智積院のホームページより『現代密教 第13号』智山伝法院 2000年)
https://chisan.or.jp/wp-content/uploads/2019/11/user-pdfD-gendaimikkyo-13pdf-06.pdf
PDFファイル7枚目(p89)から「三、明治以降の修験の流れ」の章に、以下の記述あり。
8枚目(p90)「(略)分離令による還俗命令によって、多くの修験者たちは、還俗して神官になるか、あるいは一般人として農業等に従事せざるを得ない状況であった。」
この他、14枚目(p96)には、雑誌『神変 第六号』明治四二年 からの引用を掲載し、「修験者たちは、祈祷専門で暮らしているというよりも、普段は一般人と変わらない仕事をして生活をしていた者たちがほとんどであったようである。」という記述あり。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
-
- 各宗 (188 10版)
- 社会.家庭生活の習俗 (384 10版)
- 参考資料
- キーワード
-
- 山伏
- 修験道
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000321171