レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2023年6月16日
- 登録日時
- 2023/07/22 14:06
- 更新日時
- 2023/10/20 22:09
- 管理番号
- 県立長野-23-069
- 質問
-
未解決
真田家の家臣に松本姓がいるか知りたい。
時代は真田信之の娘まんが高力摂津守忠房へ嫁いだ前後。
- 回答
-
当館で所蔵している真田家の分限帳(活字化されたものを含む)を確認したが、まんが嫁いだとされる
慶長10年前後に合致する分限帳はなく、松本姓の家臣を確認することができなかった。
真田信行の娘まんが嫁いだのは、以下の資料から慶長9年(1604)から慶長11年(1606)として調査し
た。
『真田信之 真田家を継いだ男の半生』黒田基樹著 KADOKAWA 2016【N289/サナダ】
第一章 関ケ原合戦までの信之 p.35
「また長女まんは、慶長十一年八月に、徳川家の大身旗本で武蔵岩付(埼玉県さいたま市)城
主であった高力摂津守忠房に嫁したという(「沼田日記」)。」
『真田信之 父の知略に勝った決断力』平山優著 PHP研究所 2016【N289/サナダ】
第一章 信之の生い立ちと家族の群像 3信之の子女 p.37 まん(長女・光岳院殿)
「高力摂津守忠房の妻となった。『御事蹟稿』は、婚礼を慶長十一年(一六〇六)とするが、
嫡男高長の生年が慶長十年なのでこれは誤伝であろう。おおらく慶長九年ぐらいであろう
か。忠房との間に、高力高長(慶長十年生まれ)、高力長房、高力政房、女子(小川藤左衛
門正久の妻)の三男・一女をもうけたという(『寛政譜』)。」
『新編信濃史料叢書』第16巻 信濃史料刊行会編・刊 1977【N208/43/16】
真田家御事蹟稿 大鋒院殿御事蹟稿 巻之四 p.138
「慶長十一年丙午八月、まん女を高力摂津守へ婚礼」
『寛政重修諸家譜』第8巻 続群書類従完成会 1980【288.2/タミ】p.340-341
高力忠房の嫡男高長の項目に、「慶長十年生る。」という記述がある。
以下の資料は、時代は違うが松本姓が確認できた。
松本姓が確認できたのは、真田幸専時代にあたる文政2年(1819)の分限帳、明治4年(1871)の給禄
適宜現石調からだが、「まん」が嫁いだ年代とは離れているため、質問者が調べている家臣と関係があ
るかどうかは不明。
『真田一族と家臣団』田中誠三郎著 信濃路 1979【N288/88】
p.188-207 文政二年分限帳(真田幸専時代)
p.200 松本金十郎
p.207-216 明治四年給禄適宜現石調
p.213 松本芝太郎
p.214 松本賢吾
p.215 松本仙治
- 回答プロセス
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1 まんの嫁ぎ時期を調べる。
2 当館の蔵書検索でキーワード「真田」「真田信之」「松代藩」などで検索、ヒットした資料を調べる。
『真田一族と家臣団のすべて』丸島和洋編 KADOKAWA 2016【N288/309】
『真田一族と家臣団』田中誠三郎著 信濃路 1979【N288/88】
『松代藩士系図』出版者不明【N288/3】※写本
『[松代藩]御家中分限覚』 出版者不明 【N280.3/9】※写本
『松代町史 下巻』大平喜間多編 臨川書店 1986【N212/236/2】
『真田町誌 第2巻 歴史編』真田町誌編纂委員会編 真田町誌刊行会 1998
『上田市誌 歴史編6』上田市誌編さん委員会編 上田市 2002【N221/175/9】
『真田信之 令和4年真田宝物館特別展』真田宝物館編・刊 2022【N289/サナダ】
『信濃史料 第22巻』信濃史料刊行会編・刊 1968【N208/28/22】
『信濃史料 第26巻』信濃史料刊行会編・刊 1969【N208/28/26】
3 レファレンス協同データベースで参考となる事例を調べる。(最終確認日:2023/7/25)
管理番号:県立長野-08-004「長野県内の藩の家臣、藩士の名前などを調べたい。何を見ればよい
か。」
管理番号:県立長野-22-071「松代藩真田家の幕末頃の家臣に、傳田織部という武士がいたか。」
- 事前調査事項
- NDC
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- 日本 (281 10版)
- 系譜.家史.皇室 (288 10版)
- 参考資料
- キーワード
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- 真田信之
- まん(光岳院殿)
- 高力摂津守忠房
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介 事実調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000336194