レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2019年06月20日
- 登録日時
- 2020/03/05 16:47
- 更新日時
- 2021/11/15 10:44
- 管理番号
- 2019-009
- 質問
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解決
女子刑事施設の歴史について調べていたところ,大正元年12月発行の『監獄協会雑誌』に「栃木分監の女囚に就て」という記事を見つけた。
その記事には,宇都宮監獄栃木分監で女囚を集禁した以前に,八王子や米沢において女囚を集禁していたことを示唆する記述があったが,詳細は分からなかった。
栃木分監に女囚を集禁した以前に,女囚を集禁した施設に関する資料,文献等があれば知りたい。
- 回答
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明治時代に最初に女囚を集禁したのは栃木,八王子,米沢の三施設とみられる。
重松一義著『日本刑罰史年表』(昭和47年11月)によると,明治36年7月に「東京監獄八王子分監を女囚特別監に指定、甲府及び市谷監獄から女囚を集禁」とある。
また,明治39年11月に「栃木分監を女特別監(原文ママ)に指定、宇都宮前橋の女囚を集禁」とある。明治40年2月には「米沢分監を女特別監に」指定したとなっている。米沢分監は山形監獄の分監であった。
『監獄協会雑誌』の「栃木分監の女囚に就て」では,米沢のほうが栃木より先に女監となったように書かれているが,これは明治40年3月に栃木分監が全焼して,全収容者を他の監獄等に移送し,明治42年に再開して女監として再スタートしたことによると思われる。
また,『刑務所総覧 各刑務所建物配置図(昭和7年現在)』(司法省)には,全国の各施設の簡単な概要が書かれており,八王子・栃木・米沢の施設の部分で,女囚を収監する施設となったことも書かれている。(この資料では,八王子は少年刑務所になっている)
- 回答プロセス
- 事前調査事項
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「栃木分監の女囚に就て」『監獄協会雑誌』(大正元年12月)は閲覧済み。
- NDC
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- 刑法.刑事法 (326)
- 日本史 (210)
- 参考資料
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- 栃木分監の女囚に就て. 1912. 監獄協会雑誌
- 重松一義. 日本刑罰史年表. 1972.
- 刑務所総覧:各刑務所建物配置図(昭和7年現在). 司法省.
- キーワード
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- 女子刑事施設
- 日本--歴史--明治時代
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介 事実調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000275419