レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2020年7月6日
- 登録日時
- 2020/07/30 13:30
- 更新日時
- 2022/10/26 14:52
- 管理番号
- 2020-013
- 質問
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解決
1922年(大正11年)に國學院大学の校費でドイツに留学した「アラサワ ユウタロウ」という人物について調べている。
氏名の漢字表記、留学する際の所属学部・専攻・身分、帰国後の経歴、没年などについてわかる資料はないか。
- 回答
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1922年に國學院大学からドイツに留学した「アラサワ ユウタロウ」について以下のことがわかりました。
氏名の漢字表記: 荒澤 雄太郎(のち椿 雄太郎)
留学する際の所属学部・専攻・身分: 大学部国史科卒業生
帰国後の経歴: 学校講師(宮城学院女子大学・女子短期大学教授ほか多数)。また「競技かるた」にも関わりが深い。
没年: 1962年
詳しくは回答プロセスをご覧ください。
- 回答プロセス
-
1.國學院大学Webサイト
https://www.kokugakuin.ac.jp/ [参照 2020-07-06]
サイト内検索で「あらさわゆうたろう」を検索すると下記ページがヒット。
校史 Vol.26 國學院大學(國學院大學校史・学術資産研究センター)
https://www.kokugakuin.ac.jp/research/oard/schoolhistory/ken-koshikankobutsu/koushi-vol-26 [参照 2020-07-06]
「平成28年3月6日発行」の『校史』26号の目次が掲載されている。
「大学昇格後初の留学生荒澤(椿)雄太郎氏 (益井邦夫)」とあり。
本文の掲載はなし。
→『校史』は同志社社史資料センターに所蔵。内容を確認。
・益井邦夫「大学昇格後初の留学生荒澤(椿)雄太郎氏」(『校史 : archives of Kokugakuin Univ』(26), 2016-03, p.12-15)
荒澤雄太郎氏の経歴について詳細な記述がある。
肖像写真あり。
ただし出典が明記されていない情報もある。
2.経歴より資料検索
(1)國學院大學の出身者であることから
國學院大學図書館OPACで資料検索。
『國學院大學一覧』
https://opac.kokugakuin.ac.jp/webopac/BB01027907 [参照 2020-07-06]
大正14年以降のみ所蔵。
校史・学術資産研究センターにはそれ以前の号も保管されている可能性がある。
(2)宮城学院女子大学の教授であることから
・『宮城学院七十年史』(宮城学院, 1956)
p.104 体育館設立に尽力したとして記載あり
p.106 文化学会の学術講演会での講演について題目と共に記載あり
p.206 女子大学・女子短期大学の教授(歴史 哲学)として記載あり(昭和20年1月1日就職)
・『天にみ栄え:宮城学院の百年』(宮城学院, 1987)
p.830(付・旧教職員名簿)に在職期間の記載あり。
・『宮城学院女子大学研究論文集』
今出川図書館所蔵分の目次を確認したが、著作は見当たらず。
・宮城学院女子大学図書館・宮城学院資料室
https://www.mgu.ac.jp/home/agency/dataroom/index.html [参照 2020-07-06]
→参考調査を依頼できる可能性がある。
(3)秋田女子師範学校の講師であったことから
・秋田県師範学校編『創立六十年』復刻版(第一書房, 1981)
→記載なし
(4)競技かるたに関する人物として
『競技かるた百年史』(全日本かるた協会, 2008)
→本学所蔵なし
3.国立国会図書館サーチで検索
・荒澤雄太郞「雜錄 網走の竪穴及び貝塚」(『考古学雑誌』12(5)[268], 1922-01, p295-299)
※「1.」の記事でも引用されている
著者について、肩書等の記載はなし。
ただし本文より経歴の一部が分かる。
p.296「私が初めて網走の土地へ行つたのは、大正四年の十一月、小学校教員として赴任したので、爾後二ヶ年足らずその土地に居つた。当時中学を卒業して日がなほ浅い私は、何等考古学に関する知識を備へては居なかつたが、その中に(大正五年十月)国史講習会が起るや、私は直ちに第一回の会員となつてその講習録を取り、柴田常恵氏の考古学講義を読んで、面白いと感じ、この地方で何か探さうと思ひ立つた。」
p.297「大正六年・・・春には転任になつてしまつたので、それきり発掘の機会を失つてしまつた。・・・昨年の夏季休業に、北海道へ帰省したのを機会として網走に行き」
4.Googleブックスで検索
(1)キーワード:荒澤雄太郎
→『國學院雑誌』第28巻(1922年)がヒット。現物を確認すると下記記事あり。
・「大正十年度の学事報告(彙報)」(『國學院雑誌』28(4), 1922-03, p.77)
卒業生の中での「優等賞」「最優等者」に関して記述あり。
・「第三十回卒業式(彙報)」(『國學院雑誌』28(4), 1922-03, p.77-80)
卒業生の氏名として「大学部国史科」欄に
「札幌中(北海道)荒澤雄太郎 明治二十八年四月生」とあり。
・「中等教員免許状受領者(彙報)」(『國學院雑誌』28(7), 1922-03, p.91-92)
「大学部国史科卒業」の「歴史科」の欄に「荒澤雄太郎」あり。
・「院友の異動(彙報)」(『國學院雑誌』28(7), 1922-03, p.94)
「第三十期・・・荒澤雄太郎氏は独逸国留学に決定」とあり。
この「院友の異動」欄について、後の号も確認すると、さらに情報が見つかる可能性がある。
(2)キーワード:椿雄太郎
・『大学研究者・研究題目総覧:専門別』(1961年版)
巻末「索引」より「椿雄太郎」確認。
「文学・史学・哲学―哲学」の項に「椿雄太郎(明28.4)國學院大・文・国史 大11.3卒;宮城学院女子短大・教授, 宮城学院女子大・講師」(p.257)。
→『大学研究者・研究題目総覧:専門別』(1971年版人文科学編)には記載なし
→『大学研究者・研究題目総覧』下巻(1957)
p.75 宮城学院女子大学 学芸学部 教授 として記載あり。
「椿 雄太郎(明28)歴史と歴史学―主として "所興と組織との関係" "復原の世界"」
5.新聞記事を検索
本学契約データベースヨミダス歴史館(読売新聞)にて記事検索。[参照 2020-07-06]
・「国学院の留学生」(『読売新聞』1922年8月21日朝刊2ページ)
「國學院大學からも海外留学生を派出するに至り二十一日午前十時横浜出帆の香取丸で・・・荒澤雄太郎氏(歴史哲学の研究)が出発する□となつたが何れも三年間独逸にあつて研究を続けるそうである」
※□は判読不能
・「国学院の留学生」(『読売新聞』1922年8月22日朝刊3ページ)
上記記事とほぼ同内容。
- 事前調査事項
-
・留学先であるハイデルベルク大学の記録を調査した。
本人が提出した履歴書によると、
1895年 北海道西島牧生まれ
1917年4月~1919年3月 國學院大學予科に在籍
1919年4月~1922年3月 國學院大學に在籍
1922年6月 歴史哲学の研究のために派遣される
ハイデルベルク大学の記録によると、
1923年~1924年の「冬学期」(日本でいう1923年度秋学期)に在籍
その後除籍
その後の情報は見つかっていない。
・『國學院大學八十五年史』などの大学史は閲覧したが、留学生個人についての詳細な情報は記載がないようだった。
- NDC
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- 個人伝記 (289 10版)
- 大学.高等.専門教育.学術行政 (377 10版)
- 日本史 (210 10版)
- 参考資料
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-
國學院大学
https://www.kokugakuin.ac.jp/ [参照 2020-07-06] -
校史 Vol.26. 國學院大學. 國學院大學校史・学術資産研究センター.
https://www.kokugakuin.ac.jp/research/oard/schoolhistory/ken-koshikankobutsu/koushi-vol-26 [参照 2020-07-06] (※目次のみ) - 益井邦夫. 大学昇格後初の留学生荒澤(椿)雄太郎氏. 校史 : archives of Kokugakuin Univ. (26), 2016-03, p.12-15.
-
國學院大學一覧. 國學院大學図書館OPAC.
https://opac.kokugakuin.ac.jp/webopac/BB01027907 [参照 2020-07-06] -
宮城学院七十年史編集委員会編 , 宮城学院七十年史編集委員会. 宮城學院七十年史. 宮城学院, 1956.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000096-I010860216-00 (NCID:BN05983806) -
宮城学院. 天にみ栄え : 宮城学院の百年. 宮城学院, 1987.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000001909701-00 (NCID:BN01401046) -
宮城学院女子大学 , 宮城学院女子大学文化学会. 研究論文集 = Bulletin of Miyagi Gakuin Women's University. 宮城学院女子大学紀要編集委員会, 1951., ISSN 03867501
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000000022744-00 (NCID:AN00235657) -
宮城学院女子大学図書館・宮城学院資料室
https://www.mgu.ac.jp/home/agency/dataroom/index.html [参照 2020-07-06] -
秋田県師範学校/編 , 秋田県師範学校. 創立六十年 : 秋田県師範学校. 第一書房, 1981. (日本教育史文献集成 ; 第2部. 師範学校沿革史の部 ; 2)
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I021136880-00 (NCID:BN03088998) -
競技かるた百年史. 国立国会図書館オンライン.
https://id.ndl.go.jp/bib/000010068286 [参照 2020-07-30] -
日本考古学会. 考古学雑誌 = Journal of the Archaeological Society of Nippon 12(5)(268). 日本考古学会, 1922-01., ISSN 00038075
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000039-I002287195-00 ((荒澤雄太郞「雜錄 網走の竪穴及び貝塚」p295-299を参照)) - 大正十年度の学事報告(彙報). 國學院雑誌, 28(4), 1922-03, p.77.
- 第三十回卒業式(彙報). 國學院雑誌, 28(4), 1922-03, p.77-80.
- 中等教員免許状受領者(彙報). 國學院雑誌, 28(7), 1922-03, p.91-92.
- 院友の異動(彙報). 國學院雑誌, 28(7), 1922-03, p.94.
-
日本学術振興会. 大学研究者・研究題目総覧 : 専門別 1961年版 [第1] (人文科学編). 日本学術振興会, 1961.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000000841652-00 (NCID:BN04448964) -
日本学術振興会. 大学研究者・研究題目総覧 : 専門別 1971年版. 日本学術振興会, 1971.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000001189239-00 (NCID:BN04448964) -
日本学術振興会. 大学研究者・研究題目総覧 下巻. 日本学術振興会, 1957.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000000965730-00 (NCID:BN12379696) - 国学院の留学生. 読売新聞, 1922年8月21日, 朝刊, 2ページ. ヨミダス歴史館. [参照 2020-07-06]
- 国学院の留学生. 読売新聞, 1922年8月22日, 朝刊, 3ページ. ヨミダス歴史館. [参照 2020-07-06]
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國學院大学
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- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 人物
- 質問者区分
- 教員
- 登録番号
- 1000285118