レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2020/11/15
- 登録日時
- 2020/12/17 00:30
- 更新日時
- 2020/12/25 14:14
- 管理番号
- 6000043902
- 質問
-
未解決
豊中市内の服部緑地にある「こどもの楽園」は、以前は「児童遊戯場」として市民に親しまれていたという写真を見たが、この「児童遊戯場」はいつからいつまであったのか、またいつから「こどもの楽園」となったのか。
- 回答
-
○現在「こどもの楽園」となっている場所が「児童遊戯場」であった時期について
所蔵資料により、服部緑地整備の初期からあったことが推測されるが、はっきりとした開設時期を断定できる資料は発見できず。
○「こどもの楽園」の開設時期について
『府営公園の今昔』によると、「愛パーク大阪事業」により1991(平成3)年度に「こどもの楽園」が整備されたとあり。
- 回答プロセス
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まず、図書館所蔵の服部緑地パンフレット(発行年不明)2種類を確認した。
このうち内容から昭和34年以降~同45年以前に発行されたと推測されるパンフレット「大阪府営服部緑地」(財団法人大阪府公園協会発行)掲載の地図には、
現在の「こどもの楽園」の場所に「児童遊戯場」と書かれている。
もう一つのパンフレット「服部緑地」(大阪府)は内容から万博開催頃のものと推測され、こちらでは「仲よし広場」となっている。
次に、『グリーングロー大阪 第1回全国都市緑化フェア報告書』(大阪府 昭和59年3月発行)掲載の地図を確認。こちらでは「遊園地」となっている。
またこの地図では、緑地の北東部にも児童遊戯場があったことが分かる。
ここは服部緑地の公式ウェブサイトによると現在「いなり山児童遊戯場」となっている。
http://hattori.osaka-park.or.jp/guide/parkguide/inariyama/ (2018.11.23確認)
『日本公園百年史』(日本公園百年史刊行会 昭和53年)の「総論・各論」編、p.586を見ると、昭和24~32年度の第1期整備計画により「主として野球広場、庭球場、児童遊戯場、大芝生広場、休憩所、便所、園路等の整備がなされた」とあるが、これ以上の詳細は記載なし。「附表編」にもなし。
『府営公園の今昔』pp.70-72に「服部緑地開発計画」が資料として収載されており、『日本公園百年史』と同様の記載が見られるが、児童遊戯場の設置時期などは明示されていない。
pp.94-97「愛パーク大阪事業」についての記載のなかに「こどもてんごく整備事業」について書かれており、服部緑地のこどもの楽園整備時期が分かった。
- 事前調査事項
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お尋ねの写真は『豊中市の昭和』(樹林舎)のp.138に「整備前の児童遊戯場」という写真であるとのこと。キャプションによるとこれは現在の「こどもの楽園」だとある。
- NDC
- 参考資料
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- 『府営公園の今昔』 大阪府土木部公園課/企画 大阪府土木部公園課 (96-97)
- キーワード
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- 服部緑地(ハットリリョクチ)
- 児童遊戯場(ジドウ ユウギジョウ)
- 公園(コウエン)
- こどもの楽園(コドモ ノ ラクエン)
- 愛パーク大阪事業(アイ パーク オオサカ ジギョウ)
- 府営公園(フエイ コウエン)
- 豊中(トヨナカ)
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 庁内
- 登録番号
- 1000290832