レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2019/02/20
- 登録日時
- 2020/12/17 00:30
- 更新日時
- 2021/01/07 15:18
- 管理番号
- 6000045921
- 質問
-
未解決
昭和42年ころから今までの、阪急曽根駅および駅周辺の開発の様子がわかる資料はあるか。曽根駅に近い中央公民館のあたりは当時池で、その後埋め立てられて施設が建てられたという話を聞いたことがあり、そのことについてもわかればなおよい。
- 回答
-
■芦田ヶ池について
<地図>
・「豊中市図」昭和36年
・『大阪府精密住宅地図 豊中市南部1984』(吉田地図)
・『大阪府精密住宅地図 豊中市南部1985』(吉田地図)
・『ゼンリン住宅地図 大阪府豊中市 1 南部』2018年6月発行(ゼンリン)
・パンフレット「豊中 アクア文化ホール 中央公民館」昭和59年6月 アクア文化ホール・中央公民館配置図
<記事>
・『昭和59年 豊中の公民館』(豊中市立公民館)
p.3中央公民館沿革 p.9公民館の沿革
→ 昭和59年6月6日中央公民館・アクア文化ホールオープン
・「広報とよなか 第391号 昭和57年11月1日」
p.3「中央公民館を建設 芦田ヶ池を埋め立てて」
・「広報とよなか 第454号 昭和63年2月1日」
p.1「とよなか界隈 芦田ヶ池あたり」
→ 池を埋め立てて昭和43年に市民会館が建ち、半分残っていた池を埋め立てて昭和59年アクア文化ホールと中央公民館が建ち、今では池はわずかに面影を残すのみ、という内容の投稿。
<写真>
・「グラフとよなか №16 豊中市の川と池」
p.23 「風光明媚だった芦田ヶ池-明治末頃」、「半分埋め立てられ市民会館になった芦田ヶ池」
p.21 埋め立てられた池の一覧
・『豊中市の昭和』(樹林舎)
p.56 昭和46年の芦田ヶ池
■阪急曽根駅
<高架化工事の開始時期>
・パンフレット「豊中都市計画事業による連続立体交差化事業の概要」
事業期間 昭和54年~昭和63年度(予定)
・『広報とよなか 1994年11月号』
p.8 昭和57年度から工事
・『新修豊中市史 2 通史ニ』
p.746 事業用地の買収は難航し、仮線敷設の準備工事に着工したのは昭和57年11月末となり、本格着工は翌年末
・『新修豊中市史 8 社会経済』
p.835 同上
<高架への切替と工事の完成時期>
・『新修豊中市史 2 通史ニ』
p.746 平成6年11月6日始発から上り高架新線開通
翌年1月の阪神淡路大震災で工事が遅れ、下り線の高架新線切替は平成9年11月にずれ込む
その後、仮線撤去などあり、平成12年末に全体工事が竣工
■阪急曽根駅周辺
・『新修豊中市史 9 集落・都市』
p.220,233-234 郊外住宅地として宅地開発 曽根停留場周辺は、昭和6年から宅地分譲と建て売り住宅の分譲が行われる。
・『新修豊中市史 2 通史ニ』p.748 『新修豊中市史 8 社会経済』p.837
高架化に伴って駅前広場の整備など、短い記述のみ。豊中駅前広場については詳しい。
・『広報とよなか 昭和47年3月号』
p.1 「緑地帯、広い道路 曽根駅前広場生まれる」と題する記事あり。
・『ふるさと豊中』
p.155 昭和57年時点での曽根駅東側の写真 植え込み・ロータリー
後日、国土地理院の地図・空中写真閲覧サービス https://mapps.gsi.go.jp/maplibSearch.do#1 (2021.1.7確認)で過去の空中写真を比較すると、池の埋め立ての状況等を読み取れる旨ご教示いただいた。
- 回答プロセス
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『豊中市政年鑑』、『豊中の公民館 50年のあゆみ』には池を埋め立てたことは載っていなかった。
『ふるさと豊中』p.62に、駅周辺の商店街は西側がにぎわっていたが、昭和47年ダイエーが大阪星岡茶寮の跡地に進出してきて買い物客の流が一変したことが書かれている。『豊中市の昭和』p.72,178に昭和50年代の東西の商店街とダイエーの写真あり。
曽根駅周辺を地図で紹介したものは、1989年『創立20周年記念誌 豊島北』、2008年1月21日朝日新聞「まちぶら第140号」、『広報とよなか 1997年3月号』p.62-63、『広報とよなか 1996年9月号』p.66-67。1991年11月17日読売新聞「ストリート駅前 111 曽根」に、豊中市が進めている町づくり計画の中で都心部を作る地域の南端に位置づけられ多彩な公共施設が点在していると紹介されている。
市の計画には、平成12年3月「豊中市都市計画マスタープラン」では、曽根駅周辺は市の文化・レクリエーション施設が集積する文化ゾーンを形成し服部緑地への西の玄関口となっていると特性をあげ、「曽根駅前まちづくりの推進」という方針が示されている。『広報とよなか1992年11月号』p.8-9に「豊中都市ゾーン基本方向」がまとまり曽根駅周辺は「文化性と健康づくり」をキーワードとする機能を充実させるよう整備することが示されている。読売新聞1992年10月30日にも記事あり。
昭和63年『豊中市都市景観形成基本計画書』p.50には、曽根・服部ゾーンは文化施設・公園等を中心に遊歩道整備を拡充、とある。
昭和61年広報とよなか「新豊中市総合計画特集号」には、曽根駅周辺を文化拠点とするためアクア文化ホール等既存施設の周辺整備をすすめる、ということが書かれている。『曽根駅周辺地区再開発基本計画昭和42年7月』。
公共施設は、航空機騒音対策の一環として曽根東センターが昭和58年にオープン(『広報とよなか昭和58年10月号』p.3)、豊中市民会館、豊島公園、プール跡に花とみどりの相談所。
曽根まちづくり研究会の前身が平成2年発足、駅前商店主たちが曽根の活性化を願い有志でたちあげた。サマーフェスティバル、駅前中駐車・駐輪、駅前広場の整備を考える。曽根まちづくり研究会は『ないす曽根』20号、そね坂通りは『まちづくり通信』№2,14,18、毎日新聞2003年1月13日曽根商店街、が詳しい。
駅高架化は『事業誌』『広報とよなか1994年11月号』に詳しい。
『ないす曽根 第17号』p.1に「高架化事業の満了を機に、駅前の再開発事業も進展が加速され」とある。
- 事前調査事項
- NDC
- 参考資料
- キーワード
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- 芦田ヶ池(アシタガイケ)
- 曽根(ソネ)
- 豊中(トヨナカ)
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 庁内
- 登録番号
- 1000290823