レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2017/08/12
- 登録日時
- 2017/09/13 00:30
- 更新日時
- 2017/09/21 14:36
- 管理番号
- 6000035542
- 質問
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解決
太平洋戦争で亡くなった豊中の方の数が知りたい。毎年行なわれる追悼式では「2112人」とされているがこの根拠が知りたい。
- 回答
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『とよなか歴史・文化財ガイドブック』(平成20年 豊中市教育委員会発行)によると、
「てしまの塔」の項に、「第二次世界大戦の豊中における犠牲者を慰霊するモニュメントです。~(中略)~戦没者2112名、戦災死者205名の名簿を公募により作成し、この地に収納しました。」とある。
このてしまの塔が建てられた昭和43年の3月前後の『広報とよなか』を確認したところ、
2月号に「戦没者慰霊に“てしまの塔”豊島公園に」という記事がありここに、
戦没者・空爆犠牲者名簿を収納するので、2月25日までに市に届出るようにと遺族に対して呼びかける文言がみられる。
同3月号には「『てしまの塔』除幕 戦災者霊簿納める」の記事があり、
「霊簿にしるされたのは、戦没者二千百十二名、戦災者二百五名ですが、市社会課では今後も希望があれば、追悼式のつど霊簿に追記していきます。」との記載があった。
- 回答プロセス
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太平洋戦争で亡くなった方というのが、豊中市から出征して亡くなった方、空襲で亡くなった方などなにをさすのかがはっきりしなかったため、とにかく「2111人」という数字とその出所を探すことにした。
『豊中市史 第四巻』(昭和38年刊)、『新修豊中市史 第二巻通史二』(2010年刊)、『図説豊中空襲』(能登宏之編・著 2011)にはいずれも豊中への空襲の被害の記載のみ。
ちなみに『豊中市史』p.2の記載は「太平洋戦争による戦いの傷あとは、連合国軍の空爆による罹災面積九六ヘクタール、罹災人口一万ニ九五一人、罹災戸数三五四〇戸、死者五七五人、負傷者八九八人」である。
次に、市内の慰霊碑等の資料をあたる。ここで「てしまの塔」が第2次大戦における豊中の戦没者慰霊碑であることを思い出し、詳細を調べたところ「2112人」という数字が出てきた。「てしまの塔」が建立された当時納められた霊簿に記載された戦没者の人数とのことだった。
なお「太平洋戦争の死者はどれくらいであったか」という同様の疑問については『豊中歴史探訪 戦死者の墓碑』で高市光男氏も言及されており、ここで豊中への空襲の死者数と霊簿に記載されたとされる戦災死者の人数との間のくい違いと市内の戦没者慰霊碑や墓碑に刻まれている戦没者数と霊簿記載の戦没者数との間のくい違いについて調査されている。
また『資料・太平洋戦争被害調査報告』(中村隆英・宮崎正康 東京大学出版会1995)に銃後人口被害が都市別に記載されており、ここでは豊中市の死亡者は234人となっている。
- 事前調査事項
- NDC
- 参考資料
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- 『とよなか歴史・文化財ガイドブック』 豊中市教育委員会生涯学習推進室地域教育振興課/編集 豊中市教育委員会生涯学習推進室地域教育振興課 (51)
- 『戦死者の墓碑』 高市 光男/著 近代史文庫大阪研究会 (47-74)
- キーワード
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- 豊中(トヨナカ)
- 戦争(センソウ)
- 戦没者(センボツ シャ)
- 太平洋戦争(タイヘイヨウセンソウ)
- 十五年戦争(ジュウゴ ネン センソウ)
- てしまの塔(テシマ ノ トウ)
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 庁内
- 登録番号
- 1000221839